書籍・雑誌

知と愛/ヘッセ/新潮文庫

あらすじ

美の青年ゴルトムント。ゴルトムントの父は息子のうちに眠る母譲りの放蕩の血をうとみ、知によってそれを封殺しようと彼を修道院に入れる。そこで出逢った知の才能あふれる若き師、ナルチスの言葉によってゴルトムントはおのれの天分に目覚め、愛欲のための放浪生活に入ることを選択する。過酷な放浪の末、知と愛の融和による自らの表現を手に入れたゴルトムントは、長いときを経てナルチスとの邂逅を果たす。

文章がびっしり詰まっていて、一見しりごみするぐらいの文章量。しかし、いったん加速がついてしまえばスラスラと読めてしまうので苦にはなりません。

理や知で精密に物事を解き明かすことを選んだナルチス。一方、愛や欲の世界を放浪し、経験することで感覚を研ぎ澄ませていったゴルトムント。真摯に世界に向き合うふたつの方法論。物語上は対等な二人、原題も『ナルチスとゴルトムント』です。しかしこの小説はゴルトムントを主人公に選びます。逆に言えばナルチスのやり方では小説の主人公の地位を獲得できなかったということで、ここに意味があるように思います。

理屈ばっかりこねても、実践が全然なら説得力に欠ける。実践者であるほどに言葉や行動は力を持つ。最近さまざまな場面に出没する学者先生を見るたび、そのように感じています。

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あらびきプロファイラー劇場

FBI心理分析官/早川書房

快楽殺人の心理/講談社

どちらもロバート・K・レスラー氏関連の著書です。昔はよく日本のTVに出演されてましたが、今もご健在なのでしょうか?

これは10年以上前に買った本で、当時、この上ない感銘を受けた覚えがあります。すでに何度も読んだ本ですが、何となく目についたので再読。何人ものシリアルキラー(連続殺人者)へのインタヴューを敢行し、神経をすり減らしながら練り上げられたプロファイリングマニュアル。例えばエド・ケンパー。身長2m04cmに体重140kg!洞察力があり、頭も良い(殺人鬼という時点ですでに阿呆なのですが、潜在能力値としてはという解釈でいいと思います。)というまさに怪人。15歳で祖父母を殺害、少年刑務所を4年で出所。その後、母親を含めた7人を殺害。この無反省・巨躯の殺人鬼と対峙した場面の描写は想像しただけで身震いがします。看守とのちょっとした行き違いから『そんなの』と狭い部屋の中二人っきりで閉じ込められ、動揺を俺は見抜いているぞと言わんばかりに『お前の頭を捻じ切って、机の上に置いとこうか?』なんて言われて・・・これはマジで怖過ぎ。そんなこと言われただけで即死しそうだ。

そんな目に遭ってなお、稀有な残虐性を示した犯罪者をも社会の安定に役立てようという執念、これには頭が下がります。これは見習ってしかるべきだと改めて思いました。それにしても、このノウハウの全てが日本で使えるわけではない(日本人向けのデータではない)のは残念。

で、日本の現状はというと、最近では『BOSS』なるテレビドラマがプロファイリングを扱っていましたが、その筆舌しがたい曲解、超短絡的展開はまさしく日本古来の刑事物。3話ほど見ましたが、あれでそれなりに視聴率が獲れたり賞をもらったりできるのだから、庶民感覚としての理解はあまり進んでいないみたいだなあとがっかり。

(そういえば最終話で殺されたテロリストの一人が若干自分と縁のある役者さんだったので吹いちゃいました。役柄似合い過ぎです!)

報道のほうでも相変わらず朝から晩まで(自称?)専門家が訳知り顔で空っぽな理屈を振り回しています。未確定情報に惑い、事柄の表面を右往左往する水上の油。特に日テレの夕方はすごい。ああいうズレた人が要職に就ける警察機構って何?って思わざるを得ない出来損ないぶり。いやもう、恥ずかしいやら情けないやら可笑しいやら(不謹慎!)。あの刑事ドラマ的おっさん理論に報道としてどのような価値を置いているのか?と一度関係者に聞いてみたいです。

まあ、あれはあれである意味スゴイ逸材ではあるわけですが、その意味でなら彼の居場所は報道番組よりも『あらびき団』や『働くおっさん劇場』のほうじゃないかなと、密かに空想を膨らませている次第です。

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話すことに必要なほんとうのことって

頭がいい人、悪い人の話し方/樋口裕一/PHP新書

そういえばマニュアル本のようなものをあまり読んだことがない。

古本屋でそれ系列棚を眺めるとかなりの古本が88円。数字の魔力にまんまとはまり、数冊を即、購入。そのうちの一冊。しかし、やはりこの手の本に読むほどの価値が見出せなかった。とにかくあまりに酷い内容だったのでスルーしようかどうか考えましたが、今後まだ見ぬ誰かの参考になればと感想文を書いておくことにしました。

結論から先に書いちゃいますが、会話は話すことよりかは聞くことのほうが大事で、難しいです。なので重要視すべきは話し方よりも聞き方だと思います。話し方(話の内容)にたいした意味なんてないというのが自分の考えです。

国会中継とか議論番組とかで印象の悪いひとは、だいたい相手の話が聞けてないひとです。『いや』とか『そうじゃなくて』をいつも枕詞にするようなひと。そういう印象のひとがどんな思想的に価値ある御高説を披露したところで、その言葉からはすでに説得力が失われています。聞く態度の悪さは結果としてアウトプットにも影響する、それほどに致命的なことだと思います。

このマニュアル本についてですが、各項目には下のように見出しが連なります。

自分を権威づけようとする

自分の価値観だけで全てを判断する

根拠を言わずに決めつける

ケチばかりつける

少ない情報で決めつける

etc・・・

これらは全て『頭が悪い人』の話し方らしいのですが、実はこういった条件を自らことごとく満たしているのがこの本。挙句の果てに最後は『私は話し方のプロではない』とちゃっかり自己弁護。文章指導のプロらしいですが、それすら怪しいものです。こうしちゃいけない、ああしちゃいけないとまくしたて、人間の多様性をとことん無視して話は進む。自分は会話が苦手という著者、そんな感覚だから会話が苦手なのでしょうに。

最後には無知は愚かさだなどとうそぶいています。芥川龍之介、夏目漱石、ベートーベン、ルノワールなどを知らないとバカで愚かなのだそうです。自分は必死に勉強してようやく立っているというのに、あいつらはバカのくせになんなんだ!という嫉妬にも似たこの態度。これは見苦しい限り、まったく酷い見識です。おのれの無知を知ることでより高みへ昇ったソクラテスはこの本を読んで何と言うでしょうか。

バカって言うやつがバカ。

子どもの口げんかでは常套句で自分もよく使いましたが、これが意外にも理の中心を突いてるということは面白い。

確かに知ることは大切なことですけど、そればかりが全てではないと思います。むしろ知識を蓄えることは感動する力をそぎ落とすことにもつながる。それは人間にとって明らかな損失です。ものを知れば知るほど無垢な感動からは遠ざかっていく。自分は最近TVで大人気の『おバカ』タレントのことをうらやましく思うことがあります。彼らの感動は見ていて清々しい。それは余計なことを考えない、直球勝負だからこそにじみ出る良さだと自分は思うんです。

優劣あってあたり前、どんな能力、知識を持った人にも適した立ち位置がある。人間社会はそれが認められてこそ正しく循環する。画一的な社会には進歩も面白みもありません。

この本を読んでも会話性能はまず上がらないと思います。より固定観念に凝り固まった火薬庫人間が出来上がるだけです。『こう来たらこうしろ』と記号の交換のようなこの会話術は速度重視の社会向きかもしれませんが、そんな上っ面だけの会話が豊かな会話かと言えばそれは程遠いものだと思います。

そもそも対人で傾向と対策なんてありえない。生きものは軌範から逸脱するから進歩があった。この世界はイレギュラーだらけですから、もし会話術があるとするならそれは瞬間の対応力、思考速度を速めることぐらいじゃないかと思います。そういう力を育てたいなら対人こなすしかないです。話ベタな人は本なんか読んでないでどんどん誰かと対面して話をしたらいいと思います。(今週のファミ通にオシムさんのインタビューが載っていますが、レミという麻雀のようなヨーロッパのトランプゲームが思考の瞬発力を鍛えるのに良いんじゃないかなあ、みたいな感じで紹介されていました。オシムさんが元気そうなのは何よりの喜びです。)

初対面のほんの少しの会話から全ての印象が決まるなんてことも書かれていますが、それもおおきな間違いです。対面してよく見聞きしないかぎり相手のことなんて分かるわけがない。みもふたもない言い方をすると見聞きしたって分からない。よくよく話してみたらイイヤツ、会話がはずんで結婚してみたら毒婦だったなんてことも十分現実的であり得ることですから。

興味深いデータとして、人間の印象において言葉の内容が占める割合は7%ほど(その他、表情55%、声の質、大きさ、テンポ37%とその本には示されています。)なのだそうです。数字に信憑性はありませんが、自分の実感としてもそう思います。口をついて出る言葉そのものの意味にはたいした価値は無いようです。そんなもののほとんどは自己満足だろうと、自分を鑑みてもやはり思います。

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モモと話す時間のつくり方

モモ/ミヒャエル・エンデ/大島かおり訳/岩波少年文庫

街外れにある円形劇場に住みついた身寄りのない女の子、モモ。モモは『人の話を聞く』という特殊な能力を持っていて、モモに話を聞いてもらうとどんなことでも解決してしまいます。モモはみんなの助けもあって楽しく暮らしていました。ある日、そこへ時間どろぼうの集団が現れます。時間を盗まれた街の人たちはいつもなにかに追われているようで余裕がなく、怒りっぽくなってゆきます。モモは奪われた時間を取り戻すため抵抗するのですが・・・。

だいたいこんな感じのあらすじで物語は続いていきます。

児童文学、あなどるなかれです。軽妙な皮肉に隠された深いテーマ。こどももおとなも楽しめるつくりになっています。現代人には時間がないからと時間を節約する、時短なんて言葉がこのところよく耳に入ってきますが、それはどこかせわしなく、乱暴な生き方のような気もします。信号待ちをするひとも車も、みんな100mランナーのようにスタートを争ったり、電車で人が降りるのを待てなかったり、そうやって時間を節約したところで人間はそこにまた忙しい何かを詰め込んでしまう、それはいつまでも終りの来ない追いかけっこ。そういう時間の奴隷に余裕ある生活はないとこの物語は示します。モモに話を聞いてもらう、つまり自分の保養のためになにかをする(あるいはなにもしない)時間のつくり方、扱い方、これこそが現代的疾患に対応する処方箋になるのだと思います。もちろんそればかり求めてダレてしまってもしょうがないでしょうけど。(耳痛!)

この本にも書いてあることなのですが、ひとの話をきちんと聞くってけっこう難しい。話を聞いていたはずなのに説教していたり、いつのまにか自分の話に引きずりこんでいたり。主観を捨ててただ素直に聞く、それだけのことがなかなかできない。

1972年に書かれたこのモモですが、現代においてもそのメッセージ性は色あせていません。それはつまり、エンデが危惧した方向に人類が向かっているということなのでしょうけれど。

児童文学とはいえ一読する価値は充分あります。啓蒙書ではないので具体的にどうせよとは書かれませんが、気づきのための種がたくさんまいてある良書です。日ごろの自分に余裕がないと感じている人ならぜひ。

このエンデというひとはドイツ人で、共産主義(現存する共産主義は国家による資本主義体制でしかないとのこと)や資本主義(搾取し、その富を還元しない一握りの支配者と、労働を搾取され続ける第三世界の関係性)の欠陥を指摘して地域通貨の普及に力を注いだりしたひとらしいです。

上っ面では貧困撲滅、環境保護をうたいつつ、それでも現体制を貫くことには疑いの余地がないとする矛盾。権威ある(とは自分は思っていませんけど)ノーベル平和賞がキャンペーンの一部として扱われ、そのひとが何かしたか?っていうひとにあてがわれる。平和のためのインフラ整備、そこに至るための武力闘争なんて言い方は欺瞞でしかないのですが、いったい平和の意義って何なんでしょう。困窮している現地のひとたちの話をよく聞いていますか?と一度問いただしてみたい。モモのように聞くよっていう受け入れの姿勢こそが平和への本当の近道だと思うので。(だからといって、景気の良い中国の中心部で聞き耳立てても何にもならない。賢い飼犬が尻尾ふって甘咬みするくらいが関の山。)

こうして批判的態度をとるかたわら、実はひとからも自然からも搾取することに慣れている、自分にとってそれが普通であることが恐い。資本主義は拡大し続けるしか道はないと分かっているのに、その恩恵にどっぷりつかってしまっている。人のことをとやかく言えた立場じゃあないみたいです。

例えば環境のための省エネという標語も、結局はエネルギー消費を促すための扇動でしかなくて、使うことが常態化しているから感覚が麻痺しておかしなことになる。

昨日の夜、22時から朝の5時まで水道が止められた(事故ではなくて工事か何かだったようです)のですが、供給を止められたら止められたなりの生活を意外と出来るものでした。行政レベルで使用制限、こういうこともありなのかもなあと思いました。管理社会的だけど意識づけさせる効果ぐらいはありそうだし。

ああ、でもおなか下したりしたときは大変そうだ。自分が下しやすいだけにそこは切実です。

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斬新がひた隠す凶貌

神々の指紋(上・下)/グラハム・ハンコック/小学館文庫

発売当時、自分は見向きもしなかった問題作。どうしてあんなに流行ったのか、今になって知りたくなったので読んでみました。勿論、この本が嘘で塗り固められた偽物だということを知っていての選択です。2冊で210円という数字に魅惑されただけでもあります。

ピリ・レイスの南極の地図に始まり、エジプトのピラミッド、スフィンクスの建造年代に関する考察を通り、最後はお決まりの終末論。自分が他学者から『ありえない』と否定されると怒るわりに、当人はやたら古代人、南米土着の民をさげすんで『高度な技術は彼らの文明ではありえない』と臆面もなく言い放つ。そしてその都度、髭面白人男性の影をちらつかせる。だいたいが神のごとき白人の御業。それらは全て果て無き推論の迷宮。推論と改ざんで理を転がしてゆけば誰もが思うままの結末に辿り着けるという、或る意味で良質な参考書。執拗な『たぶん~だろう』にうんざりする一冊。痛ましい虚栄の塊。本物になれなかった人の憧れの物語。

たぶんこのひとはネオ・アトラス(未開世界を航海し、世界を造る箱庭創造ゲーム。情報の取捨選択次第で巨人族の存在した世界になったり、日本が黄金の国になったり、アトランティス大陸を発見したりできる。)のへヴィユーザーだろう。

科学はたくさんの非科学的なひらめきから成り立っている。非科学的であるという反論をする者は科学の歴史を見ていない通説の奴隷。見栄とか執着とかを捨てて、ただ知ることにのみ従順であればきっとこのひとにもチャンスはくる・・・かもしれない。

で。

結局なんでコレが売れちゃったのかについては判りませんでした。

とりあえずこの本に対応する反論本もあるらしいので、そちらもできれば読んでみたいです。

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告白の行方

仮面の告白/三島由紀夫/新潮文庫

いわずもがな世界のミシマです。このところ愛って何?的な作品を意図的に選ぶことが多いのですが、もちろんその興味には対外的な愛情のみならず自己愛も含まれます。というわけで仮面の告白。浅はかな自分が昨日の今日で三島由紀夫について書くなんて無謀もいいところ。

チシアン風の憂鬱な森と夕空との仄暗(ほのぐら)い遠景を背に、やや傾いた黒い樹木の幹が彼の刑架だった。非常に美しい青年が裸かでその幹に縛られていた。手は高く交叉(こうさ)させて、両の手首を縛(いまし)めた縄が樹(き)につづいていた。その他に縄目は見えず、青年の裸体を覆(おお)うものとては、腰のまわりにゆるやかに巻きつけられた白い布があるばかりだった。(原文から抜粋)

グイド・レーニ『聖セバスチャン』に描かれた、矢に射られた青年の裸体に魅了された主人公。それ故その肉の疼きは女性に対して発揮されることはなかった。仮面が肉から生じたのか、仮面から肉が生じたのか。虚が実になり実が虚になる。虚栄と逆説の神殿を迷走し、正体を失ってゆく青年の自己愛。

自分なりに精一杯要約したらこうなりました。やはり三島文学は綺麗です。文字がよどみなく流れていきます。理想に振り回され、現実に踏みにじられていると日ごろ感じている人は読んでみるといいかもしれません。ただし、そういう悩みに対応する直接的な解法が記されているわけではありませんから、あくまで自分で読み取って考えなければなりません。思考(悩み)を促進させる、そういう小説だと自分は思います。

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舟は帆に風を受け

星々の舟/村山由佳/文春文庫

天使の卵に引き続き村山由佳さんの作品。続きものの短編小説は短編連作小説集って言うんですね、いまさらながら知りました。あっさりした天使の卵よりも、この星々の舟ぐらい重厚な表現のほうが自分が読むには合うようです。

禁断の恋に悩む兄妹。他人の恋人ばかりを好きになってしまう末妹。団塊世代の長男が求めた自分だけの今。イジメの悪意から逃れられない長男の娘。戦場からの帰還者である父親。居場所を探す家族の物語。

腹の底がざわつくような酷い事件の連続でありながら、しかしこの物語が悲劇の結末へと舵を取ることは最後までない。負のスパイラルは寸前のところで断ち切られる。こういうところにこの作家の信じるものが垣間見える気がする。

『帰るべき場所、ホームがあるという事実は幸せにつながる』と、エヴァのキャラクター、渚カヲルくんが言っていたのを思い出す。それはひとつの可能性であって万人の幸せにつながると保証された道ではないけれど、でも帰るべき場所があるこの星々の舟の登場人物たちの行く先は希望の未来であるように自分には思える。

幸福とは呼べぬ幸せもあるのかもしれない

父親にそう思わせた沙恵の決意の姿勢はひたすらに妖しい。耐え忍んでもという日本様式の美。遂げられそうにない希望をひっそりと抱き続けること、これも幸せなのかもしれないと思える自分は日本人で、それは本当に幸せなことだと思う。

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渇望する純心を葬るための墓穴

ほかに誰がいる/朝倉かすみ/幻冬舎文庫

昨日、不注意から左手小指、爪の付け根部分の肉を薄くえぐってしまった。痛かったのでなんとなく貼り直してみた。今日、その小指の先を見たらそのままくっついていた。人間の再生力を見た。

近くのショッピングセンター、トライアル店内にいつのまにか本屋さんができていたので、ご祝儀代わりにとポップの誘導にのって何気に買った一冊が大当たり。朝倉かすみさん、この方出身地が北海道なのだそうで、出てくる地名が札幌だ石狩だと聞き馴染みあるフィールド。たったそれだけでえらく親近感が湧くのだからなんだかおかしい。

文章に疾走感があって読み進めることが苦しいと感じることは一度もなく一気読み。初めからある程度は予測できた最悪の最後に向かって物語と一緒に転げ落ちてゆく、絶対に途中で手放してはいけない、それはおもいを諦めないえりへの見届け人としての使命感のような感じでもあった。

びろうどと重なりたいえり。一目惚れはこの世で一番過激な愛情だとおもう。 幸せの形はひとつではない、でもえりはひとつの可能性以外のほかのものを全て放棄した。ほかにはなにもいらなかった。必要条件がそろったところで必ずしもおもい通りの結果に変換されるわけではない。それでも願わずにはいられなかった。ひとが純粋な願いを諦めなかった場合のひとつの終局。

最後の場面はいるかな?と少しだけおもった。でも、あれだけ暴れまわった物語を落ち着かせるにはあれしかないかともおもった。

小説のキャラクターは自分の身代わりなのだといつか誰かが書いていたのをおぼろに憶えている。読む側にとってもそれは同じで到達することのなかったおもいを投影して、投影しては殺す。本棚には墓石が増えていく。たまには墓を暴き返す。暴き返しては殺す。

脳裏に浮かんだのは映画ベティ・ブルー。心臓の弱い人、常識人にはオススメできない作品の筆頭、ベティー・ブルー。この『ほかに誰がいる』が面白いと感じられる人なら観てみるのも一興かと。小指の肉をえぐる程度じゃ済まない映画ですと警告はしておきます、一応。

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時の流れは抗し難く

昨日の晩、久々に舞台演劇を観ました。といってもTVですけど。

楽屋 流れるものはやがてなつかしき

清水邦夫作/生瀬勝久演出/出演・小泉今日子・蒼井優・村岡希美・渡辺えり

口惜しいことに途中からの観劇。

楽屋に渦巻く女優たちの想念は怨念にも似た激しさを見せつつ、でもその根底に流れるものは全て舞台への純情な憧れの気持ちであり、激しさはそれ故の表れであるわけで怖いというよりも痛い。その激情がはたして演技上のキャラクターの想いなのか、演者の想いなのか、あるいは両方であるのか。考えようがいく通りもあるよう多重構造に仕上がっているこういう作品が自分は好きです。自分はあまり集中力がないほうなので冗長な舞台は大嫌いなのですが、この作品は全く時間を感じさせない良い舞台でした。演者も、作品も、演出も全て本物である(であろうとする)から観劇する側も舞台上から気そらすことができない。時間を気にする余地もなく研ぎ澄まされた演劇は素晴しい。

なにより蒼井優さん+まくらの破壊的魅力にぐらぐら。(そこかっ!?)

そのあとの生瀬勝久さん+渡辺えりさんの対談中にあった、今どきの大学生に会って話をしたら誰一人として谷崎潤一郎を知らなかったという話には衝撃を覚えました。全員知ってろとはさすがに思わないけれど、さすがに一人くらいは読んでいてもよさそうなものなのに。まあ、時代が進むにつれて新しい作家は次々誕生するわけで、ビッグネームといえど遺物とされ埋没してゆくのも仕方ない部分もあるのかと思わないでもないのですが、しかし自分としてはそういう流れに徹底抗戦の所存。谷崎潤一郎ならば小学生の作文みたいなケータイ小説群よりは断然面白いし、実入りも多いと自分なら思うところなのですが、なかなか思い通りにはなりません、世の中は。

読書感想もおまけに。

幽霊塔(江戸川乱歩全集9)/江戸川乱歩/講談社

買ってからずっと読めてなかったのですが、昨日ようやく読みました。

その幽霊塔には養子に殺された老婆の霊が出るという。

北川光雄は叔父の以来により幽霊塔と呼ばれる屋敷の検分へとおもむく。その検分中、光雄は美しい野末秋子に出逢う。時計塔の謎を知る秋子。その周りには脅迫者の影。埋蔵金伝説。幽霊塔に隠されている迷宮。秋子の謎の使命と隠された過去。

とまあ、なんだかとっても少年小説っぽさがにじむ要約文ですが、まあ、本文のほうも実際そんな感じで完全にお子さま向け。なので普通に大人が読むにはかなり物足りないです。幽霊塔というタイトルだけでグロテスクを期待して適当に買ったのですが、そもそも江戸川乱歩は少年向けのものも多く書いているし、読んで面白くなかったというこの過失責任の所在は作品どうこうというよりかは自分にあると考えるのが正当でしょう。

秋子と聞けばダウンタウンなのは完全な世代病。

この全集には他に悪魔の紋章という作品も収録されていますが、こちらも同じようにお子さま向け。明智小五郎シリーズでありながら終盤まで本人は出さないというちょっとひねくれた作品。ちゃんと気合入れて書きましたか先生?という感じです。

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抗う者は血を流す

/アマール・アブダルハミード/日向るみ子訳/アーティストハウス

シリア文学という物珍しさから手に入れた一冊。そのときはちょうどイスラム世界、というかイスラム圏に暮らす人々の実像に対して興味を持ち始めていた頃で、文化レベルを知る上で文学なら正に適役の道標だと思った。作者のアマール・アブダルハミード氏はシリア人。シリアといえばカダフィ大佐だ!とか思っていたら、それはリビアだったりして。そういう酷い認識レベルの自分には鉄槌。

表題の『月』はMoonではなくてMenstruation(月経)のことのようです。

月経中の女性を嗅ぎ分けることが出来るハッサン。この特異な嗅覚ゆえ、彼の人生は歪んでいる。子どものような夫に奴隷のように扱われる若妻ウィサーム。外交的な思惑により国家に保護される反社会的作家の夫婦。この四人を中心に描かれるイスラム世界の苦悩と開放。

想念、出来事、ささやき、所感などの細かく裁断された小題のもと、プロットをそのまま並べたかのようなスタイル。小説というよりもエッセイ集とか、詩集に近い印象。レズ、男色、暗黙の性奴隷化。表面だけ取り繕われたイスラム性世界の歪みを指摘し、抗う人たちの物語。宗教に心を預け、自由思考を放棄した人に対する虚脱感、敵愾心は共感するところであり、イスラム圏にもそういう文化的、建設的逡巡を持って生きる人たちが少なからずいるということに新鮮な驚きを得ました。外から見ればかたくなに見えるイスラム世界にもこういう意思を表明している人がいる。それはとても心強いことです。言葉は通じなくても思いは共通するということですから。

いさかいばかり起こしているというイスラムに対するイメージに抗したかったという作者。確かに自分も彼らは皆いがみ合いばかりしているとか、識字率が低いとか、強欲だとかそういう根拠のない虚像ばかり抱いていたように思います。反省です。

そういえば昔、バイト中にアラブ系の人と英語(!)で会話したことがあった。自分は生涯英語成績1、2の劣等児。もちろん英語なんてとても喋れたものじゃない。しかも石油関連の会合に参加する人だったらしく、それは激しく業務外の会話。たまたま目にしていた電光掲示板、彼が放ったOILという単語。頑張って心底人の話を聞いていれば意外と分かる。良い勉強でした。

話が通じないからといって直ぐに拳を握って殴りかかるなんて、不毛です。

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