書籍・雑誌

斬新がひた隠す凶貌

神々の指紋(上・下)/グラハム・ハンコック/小学館文庫

発売当時、自分は見向きもしなかった問題作。どうしてあんなに流行ったのか、今になって知りたくなったので読んでみました。勿論、この本が嘘で塗り固められた偽物だということを知っていての選択です。2冊で210円という数字に魅惑されただけでもあります。

ピリ・レイスの南極の地図に始まり、エジプトのピラミッド、スフィンクスの建造年代に関する考察を通り、最後はお決まりの終末論。自分が他学者から『ありえない』と否定されると怒るわりに、当人はやたら古代人、南米土着の民をさげすんで『高度な技術は彼らの文明ではありえない』と臆面もなく言い放つ。そしてその都度、髭面白人男性の影をちらつかせる。だいたいが神のごとき白人の御業。それらは全て果て無き推論の迷宮。推論と改ざんで理を転がしてゆけば誰もが思うままの結末に辿り着けるという、或る意味で良質な参考書。執拗な『たぶん~だろう』にうんざりする一冊。痛ましい虚栄の塊。本物になれなかった人の憧れの物語。

たぶんこのひとはネオ・アトラス(未開世界を航海し、世界を造る箱庭創造ゲーム。情報の取捨選択次第で巨人族の存在した世界になったり、日本が黄金の国になったり、アトランティス大陸を発見したりできる。)のへヴィユーザーだろう。

科学はたくさんの非科学的なひらめきから成り立っている。非科学的であるという反論をする者は科学の歴史を見ていない通説の奴隷。見栄とか執着とかを捨てて、ただ知ることにのみ従順であればきっとこのひとにもチャンスはくる・・・かもしれない。

で。

結局なんでコレが売れちゃったのかについては判りませんでした。

とりあえずこの本に対応する反論本もあるらしいので、そちらもできれば読んでみたいです。

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告白の行方

仮面の告白/三島由紀夫/新潮文庫

いわずもがな世界のミシマです。このところ愛って何?的な作品を意図的に選ぶことが多いのですが、もちろんその興味には対外的な愛情のみならず自己愛も含まれます。というわけで仮面の告白。浅はかな自分が昨日の今日で三島由紀夫について書くなんて無謀もいいところ。

チシアン風の憂鬱な森と夕空との仄暗(ほのぐら)い遠景を背に、やや傾いた黒い樹木の幹が彼の刑架だった。非常に美しい青年が裸かでその幹に縛られていた。手は高く交叉(こうさ)させて、両の手首を縛(いまし)めた縄が樹(き)につづいていた。その他に縄目は見えず、青年の裸体を覆(おお)うものとては、腰のまわりにゆるやかに巻きつけられた白い布があるばかりだった。(原文から抜粋)

グイド・レーニ『聖セバスチャン』に描かれた、矢に射られた青年の裸体に魅了された主人公。それ故その肉の疼きは女性に対して発揮されることはなかった。仮面が肉から生じたのか、仮面から肉が生じたのか。虚が実になり実が虚になる。虚栄と逆説の神殿を迷走し、正体を失ってゆく青年の自己愛。

自分なりに精一杯要約したらこうなりました。やはり三島文学は綺麗です。文字がよどみなく流れていきます。理想に振り回され、現実に踏みにじられていると日ごろ感じている人は読んでみるといいかもしれません。ただし、そういう悩みに対応する直接的な解法が記されているわけではありませんから、あくまで自分で読み取って考えなければなりません。思考(悩み)を促進させる、そういう小説だと自分は思います。

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舟は帆に風を受け

星々の舟/村山由佳/文春文庫

天使の卵に引き続き村山由佳さんの作品。続きものの短編小説は短編連作小説集って言うんですね、いまさらながら知りました。あっさりした天使の卵よりも、この星々の舟ぐらい重厚な表現のほうが自分が読むには合うようです。

禁断の恋に悩む兄妹。他人の恋人ばかりを好きになってしまう末妹。団塊世代の長男が求めた自分だけの今。イジメの悪意から逃れられない長男の娘。戦場からの帰還者である父親。居場所を探す家族の物語。

腹の底がざわつくような酷い事件の連続でありながら、しかしこの物語が悲劇の結末へと舵を取ることは最後までない。負のスパイラルは寸前のところで断ち切られる。こういうところにこの作家の信じるものが垣間見える気がする。

『帰るべき場所、ホームがあるという事実は幸せにつながる』と、エヴァのキャラクター、渚カヲルくんが言っていたのを思い出す。それはひとつの可能性であって万人の幸せにつながると保証された道ではないけれど、でも帰るべき場所があるこの星々の舟の登場人物たちの行く先は希望の未来であるように自分には思える。

幸福とは呼べぬ幸せもあるのかもしれない

父親にそう思わせた沙恵の決意の姿勢はひたすらに妖しい。耐え忍んでもという日本様式の美。遂げられそうにない希望をひっそりと抱き続けること、これも幸せなのかもしれないと思える自分は日本人で、それは本当に幸せなことだと思う。

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渇望する純心を葬るための墓穴

ほかに誰がいる/朝倉かすみ/幻冬舎文庫

昨日、不注意から左手小指、爪の付け根部分の肉を薄くえぐってしまった。痛かったのでなんとなく貼り直してみた。今日、その小指の先を見たらそのままくっついていた。人間の再生力を見た。

近くのショッピングセンター、トライアル店内にいつのまにか本屋さんができていたので、ご祝儀代わりにとポップの誘導にのって何気に買った一冊が大当たり。朝倉かすみさん、この方出身地が北海道なのだそうで、出てくる地名が札幌だ石狩だと聞き馴染みあるフィールド。たったそれだけでえらく親近感が湧くのだからなんだかおかしい。

文章に疾走感があって読み進めることが苦しいと感じることは一度もなく一気読み。初めからある程度は予測できた最悪の最後に向かって物語と一緒に転げ落ちてゆく、絶対に途中で手放してはいけない、それはおもいを諦めないえりへの見届け人としての使命感のような感じでもあった。

びろうどと重なりたいえり。一目惚れはこの世で一番過激な愛情だとおもう。 幸せの形はひとつではない、でもえりはひとつの可能性以外のほかのものを全て放棄した。ほかにはなにもいらなかった。必要条件がそろったところで必ずしもおもい通りの結果に変換されるわけではない。それでも願わずにはいられなかった。ひとが純粋な願いを諦めなかった場合のひとつの終局。

最後の場面はいるかな?と少しだけおもった。でも、あれだけ暴れまわった物語を落ち着かせるにはあれしかないかともおもった。

小説のキャラクターは自分の身代わりなのだといつか誰かが書いていたのをおぼろに憶えている。読む側にとってもそれは同じで到達することのなかったおもいを投影して、投影しては殺す。本棚には墓石が増えていく。たまには墓を暴き返す。暴き返しては殺す。

脳裏に浮かんだのは映画ベティ・ブルー。心臓の弱い人、常識人にはオススメできない作品の筆頭、ベティー・ブルー。この『ほかに誰がいる』が面白いと感じられる人なら観てみるのも一興かと。小指の肉をえぐる程度じゃ済まない映画ですと警告はしておきます、一応。

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時の流れは抗し難く

昨日の晩、久々に舞台演劇を観ました。といってもTVですけど。

楽屋 流れるものはやがてなつかしき

清水邦夫作/生瀬勝久演出/出演・小泉今日子・蒼井優・村岡希美・渡辺えり

口惜しいことに途中からの観劇。

楽屋に渦巻く女優たちの想念は怨念にも似た激しさを見せつつ、でもその根底に流れるものは全て舞台への純情な憧れの気持ちであり、激しさはそれ故の表れであるわけで怖いというよりも痛い。その激情がはたして演技上のキャラクターの想いなのか、演者の想いなのか、あるいは両方であるのか。考えようがいく通りもあるよう多重構造に仕上がっているこういう作品が自分は好きです。自分はあまり集中力がないほうなので冗長な舞台は大嫌いなのですが、この作品は全く時間を感じさせない良い舞台でした。演者も、作品も、演出も全て本物である(であろうとする)から観劇する側も舞台上から気そらすことができない。時間を気にする余地もなく研ぎ澄まされた演劇は素晴しい。

なにより蒼井優さん+まくらの破壊的魅力にぐらぐら。(そこかっ!?)

そのあとの生瀬勝久さん+渡辺えりさんの対談中にあった、今どきの大学生に会って話をしたら誰一人として谷崎潤一郎を知らなかったという話には衝撃を覚えました。全員知ってろとはさすがに思わないけれど、さすがに一人くらいは読んでいてもよさそうなものなのに。まあ、時代が進むにつれて新しい作家は次々誕生するわけで、ビッグネームといえど遺物とされ埋没してゆくのも仕方ない部分もあるのかと思わないでもないのですが、しかし自分としてはそういう流れに徹底抗戦の所存。谷崎潤一郎ならば小学生の作文みたいなケータイ小説群よりは断然面白いし、実入りも多いと自分なら思うところなのですが、なかなか思い通りにはなりません、世の中は。

読書感想もおまけに。

幽霊塔(江戸川乱歩全集9)/江戸川乱歩/講談社

買ってからずっと読めてなかったのですが、昨日ようやく読みました。

その幽霊塔には養子に殺された老婆の霊が出るという。

北川光雄は叔父の以来により幽霊塔と呼ばれる屋敷の検分へとおもむく。その検分中、光雄は美しい野末秋子に出逢う。時計塔の謎を知る秋子。その周りには脅迫者の影。埋蔵金伝説。幽霊塔に隠されている迷宮。秋子の謎の使命と隠された過去。

とまあ、なんだかとっても少年小説っぽさがにじむ要約文ですが、まあ、本文のほうも実際そんな感じで完全にお子さま向け。なので普通に大人が読むにはかなり物足りないです。幽霊塔というタイトルだけでグロテスクを期待して適当に買ったのですが、そもそも江戸川乱歩は少年向けのものも多く書いているし、読んで面白くなかったというこの過失責任の所在は作品どうこうというよりかは自分にあると考えるのが正当でしょう。

秋子と聞けばダウンタウンなのは完全な世代病。

この全集には他に悪魔の紋章という作品も収録されていますが、こちらも同じようにお子さま向け。明智小五郎シリーズでありながら終盤まで本人は出さないというちょっとひねくれた作品。ちゃんと気合入れて書きましたか先生?という感じです。

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抗う者は血を流す

/アマール・アブダルハミード/日向るみ子訳/アーティストハウス

シリア文学という物珍しさから手に入れた一冊。そのときはちょうどイスラム世界、というかイスラム圏に暮らす人々の実像に対して興味を持ち始めていた頃で、文化レベルを知る上で文学なら正に適役の道標だと思った。作者のアマール・アブダルハミード氏はシリア人。シリアといえばカダフィ大佐だ!とか思っていたら、それはリビアだったりして。そういう酷い認識レベルの自分には鉄槌。

表題の『月』はMoonではなくてMenstruation(月経)のことのようです。

月経中の女性を嗅ぎ分けることが出来るハッサン。この特異な嗅覚ゆえ、彼の人生は歪んでいる。子どものような夫に奴隷のように扱われる若妻ウィサーム。外交的な思惑により国家に保護される反社会的作家の夫婦。この四人を中心に描かれるイスラム世界の苦悩と開放。

想念、出来事、ささやき、所感などの細かく裁断された小題のもと、プロットをそのまま並べたかのようなスタイル。小説というよりもエッセイ集とか、詩集に近い印象。レズ、男色、暗黙の性奴隷化。表面だけ取り繕われたイスラム性世界の歪みを指摘し、抗う人たちの物語。宗教に心を預け、自由思考を放棄した人に対する虚脱感、敵愾心は共感するところであり、イスラム圏にもそういう文化的、建設的逡巡を持って生きる人たちが少なからずいるということに新鮮な驚きを得ました。外から見ればかたくなに見えるイスラム世界にもこういう意思を表明している人がいる。それはとても心強いことです。言葉は通じなくても思いは共通するということですから。

いさかいばかり起こしているというイスラムに対するイメージに抗したかったという作者。確かに自分も彼らは皆いがみ合いばかりしているとか、識字率が低いとか、強欲だとかそういう根拠のない虚像ばかり抱いていたように思います。反省です。

そういえば昔、バイト中にアラブ系の人と英語(!)で会話したことがあった。自分は生涯英語成績1、2の劣等児。もちろん英語なんてとても喋れたものじゃない。しかも石油関連の会合に参加する人だったらしく、それは激しく業務外の会話。たまたま目にしていた電光掲示板、彼が放ったOILという単語。頑張って心底人の話を聞いていれば意外と分かる。良い勉強でした。

話が通じないからといって直ぐに拳を握って殴りかかるなんて、不毛です。

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迷子の羊が振り返れば金色に輝く道

布団から起きると枕の下にカブトムシとワラジムシがいた。おもむろにカブトムシの角をつまみあげる自分。いろんな人に見せてまわる。場面は変わり公園。あるプロ野球選手二人と談笑しつつ歩いている。すると前方で風俗スカウトの男が自分の同級生にからんでいる。その男を理詰めで攻め落とし、追い回す夢。そう、夢。

夢は不思議、不可思議。

現実に枕の下にあんなでかい昆虫がいれば完全に潰してますし、同級生は現実には知らない架空の人物。夢には夢としての理屈、物理法則があるのも面白い。今調べてみたところ、カブトムシ、プロ野球選手は結構良い感じの啓示だという。ワラジムシはなかった。ワラジムシはエビの仲間だからエビとしてカウントしても良いだろうか。スカウトも・・・ない。職業として市民権を得ていないからか。まあ、調べたところでどれもこれも信じるならばの前提付きではありますが。

金枝篇(下)/J・G・フレイザー/ちくま学芸文庫

上巻に続き、読み終わりました。

この本を読めば誰もが世界の秘境で謎の民族を見た!的なTVの見方が変わるのではないでしょうか?事実、自分は変わりました。不思議で神秘的な相容れない見世物としての意味合いから、そこに神秘的な呪術儀式が生まれた経緯には人間らしい感情があり、神秘性だけではない現実的な悲愴も原初的な憎悪も、無欠の友愛もそこには共存共栄しているのだと。良いとこどりのファンタジーでは彼らを語ることは出来ない。気高い精神性と野蛮な敵愾心とが同時に語られてこそ、人間としてのリアルがある。

膨大な資料の森をさ迷った気弱な羊は最終局面、森の王を殺す際に折られるという金枝がヤドリギの事を指すという推論に触れ、今までたどった経緯は全て道として整備されていたと気づく。この迷い道は企図されていたのだ。最後の扉が開放されて、初めて全体に隠されていた意志が筋だって異彩を放つ。

問題定義から解決篇までがえらく長かったですが、これでも割愛されたほうなのだとか。オリジナルのことを考えると、もうそれだけで気が滅入りますね。現状、自分の脆弱な意志力ではとても読めそうにありません。脳内音読の完全遅読法なので長編論稿などは読むのがすごく遅くてやきもき。願わくば速読法をマスターしたいなぁと思うこのごろ。

とりあえず次はデュルケームの自殺論、フロイトの夢判断(上・下)あたり・・・いや、(北海道地区は)今日発売の無限の住人25巻が先か。たかが漫画の時代を袈裟懸けに斬り捨てる、残酷と純情のバランスが美しい後世に残すべきこの逸品を読まずして何を語れると言うのか!

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背の鬼面

背の眼(上・下)/道尾秀介/幻冬舎文庫

これがデビュー作なんですね。

背の眼で巨凶・範馬勇次郎を思い出すのは自分だけでしょうか。(そういえば先日、NHKで放映された漫画家井上雄彦さんの仕事場の仮眠室?にバキの単行本らしき影があったなぁ。)

筋肉の陰影がまるで眼のように見えたから。という推理のひとつを終盤まで持ち込んだのはひとえに勇次郎の責任です。

丁寧なミステリ作品におけるキーワード蒐集は楽しいです。

狐憑き、神殺し、神隠し。(神殺しは金枝篇熱読中の今の自分にとって大好物)

さっきこの人はこう言っていたけど、そしたらあのエピソードがここに絡んできて、そうするとアレが残るから~てな具合に用意されたブロックをあれやこれやと組み替える楽しさはミステリならでは。用意周到、ぬかりない丁寧な物書きさんだなぁと改めて感心。

・・・・・で、ふと気づけば深夜2時。『ゴ・・・ビラサ』に関してはすぐに思いついたのですけど、思いついてもそこからが連鎖しない。己の浅さに歯噛みする次第。東海道五十三次なんて全然知らないし。そもそも自分の中にある日本地理そのものが怪しいし。

この作品を牽引する真備ってキャラクター、大槻ケンヂさんの短編集『くるぐる使い』(角川文庫)に収録されている『憑かれたな』に出てくるオールジャンル・エクソシスト、滝田一郎にイメージがダブる。この二人の間には狐憑きやその霊(狐)を祓うことに関する考え方に幾つかの共通項があって、一般に霊障と呼ばれるものを理性的に分析して対処している。しかし両者とも霊という存在を完全否認しているわけではなく、むしろ積極的に信じている節も多々ある。

霊現象なんて99%人為的(100%と言うまでの根拠はない、残り1%は未知への期待)。TVなんかで精神的にグラグラしている出演者をわざと選んでトリップさせ、狐憑きに仕立て上げて霊を祓うフリをする似非霊媒、自作自演してりゃ世話ねぇなと。そこで本人が救われるならそれで良いじゃないというのも違う。それで救われたと感じてもそれは擬似的で根本の解決には至ってない。なんでそこまで追い込まれたか?にまで言及しなければなにも見えてこない。

と、こんなに心霊に対して批判的なのに、霊とか怪談とか怖がってしばしばすきま疑心、トイレ恐慌におちいる自分。性根がへたれてる。

その昔、滝田一郎に与えられた霊感がこう腐れ落ちました。このように現時点でも影響・大な『くるぐる使い』という短編集自体がハズレの無い逸品なので、『背の眼』ともどもこちらも是非。

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あやまちの物語

神と野獣の日/松本清張/角川文庫

某国のミスによって5発の水爆が東京圏を襲うというクライシス。

特筆すべきところのない凡庸なSF。

面白くないとは書かないまでも微妙なライン、好評とするにはかなり物足りない。

おびに短したすきに長し。

SFには特性が無いようで。

昨日、金枝篇(上巻)をやっと読み終えました。

共感呪術。

殺される王。神は死して復活する。数多の神話や風習が伝える世界各地に共通の人間感情。生存への不安と恐怖の連鎖を断ち切るために儀式化されたそれらの行為は、おぞましくも切り離せない人類歴史の断片。現代も例に洩れず、その流れは確実に継承されている。

例えばいじめ。

例えばマスコミ、大衆の苛烈すぎるバッシング。

敗走者を許さない清潔志向、潔癖主義。

演者演目こそ違えど、己が不安をスケープゴートで解消するこのシステムは王殺しの構図と一緒。

人間が個の歪みを正すことで悪感情を排逐し、文化的で建設的な社会をつくる。それは少しずつしか進めないことだと分かっているつもりだけれど、それでもその歩みの遅さに苛立ちを覚えることもある。

何にも変ってねぇな!俺ら、と。

まあ。

何も変わってない、何もわかってない。

そのことが分かっただけでも進歩でしょうか。

この金枝篇、人類の克服の物語として読み解くことに自分は価値を見出しました。

しかしまあこれで未だ半分。(苦笑)

よくコレだけの量を書き上げたものです。感服に値します。が、同時にこの本が安楽椅子の人類学だと揶揄される理由も少し分かる気がしました。情報量は確かに多いけれど悪く言えば羅列に過ぎず、同じようなエピソードが続くのでくどくて読み辛い。それは本の性質上、仕方がないことなんでしょうけど。

お?

これはアイディアか?

読み辛いなら読みやすくしたら良いんだ。

子どもでも分かる金枝篇!

とか。

まんがで分かる金枝篇

とか。

・・・・・。

扱われるエピソードが王殺しだの食人だのって時点でその目論見は静かに圧壊。

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嘘つきの迷宮

小説帝銀事件/松本清張/角川文庫

霧の旗/松本清張/新潮文庫

ささやかな清張ブームです。

小説帝銀事件。

ちょっと前に帝銀事件に興味を持った時期があって気になっていたのです。

そしたら、何気に眺めた親父の本棚に所蔵されていた(偶然が必然化!)というこの小説帝銀事件。

帝銀事件で逮捕された人物は冤罪による誤認逮捕であるという可能性を指摘し、歴史的大量毒殺犯の真実に迫る松本清張氏の解釈、推理を読むことが出来ます。

現実とはどこまでも奇異。

日本の黒歴史。

さらにブームは続いて同じく所蔵されていた霧の旗。

こちらも冤罪がらみで社会派なにおいがします。

冤罪に巻き込まれた兄を救うために九州から上京してきた桐子。敏腕と名高い大塚弁護士に弁護を依頼するが、その願いは無碍に断られる。兄は汚名を返上すること叶わず獄死。偏執的な桐子による大塚弁護士への静かな復讐劇。

昨今よく見られる過激な殺戮による安易な復讐などは一切見られず、粛々と丹念に相手を陥れようと画策する冷ややかな桐子の視線を想像すると本物の残酷が見えてくる。ただその残酷は桐子本人のものなのか?大塚弁護士のものなのか?あるいは全く別のものなのか?そこからは悪意に対する悪意の復讐という単純な構図には収まらない隠されたテーマが見えてきます。

松本清張作品は初めて読みましたが表現自体は平易できわめて読みやすく、話の筋やテーマで勝負する丁寧な書き手という印象でした。

この二作に共通する『自分の都合次第の不誠実な嘘の証言』、この個々人の内向的で個人的な弁明が連携すると事態は迷宮化する。これは本当に怖いなぁと思いますね。

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潜在的にありふれる物語の浸透圧

向日葵の咲かない夏/道尾秀介/新潮文庫

酒宴にて友人がこの方の名前をひたすらに連呼するものですから密か(であるべき理由はひとつもありませんが)に読んでみました。なかなか面白かったので近いうちに他の作品(多分シャドウ)も読んでみようと思います。

この『向日葵の咲かない夏』は残酷すぎるとか一部読者からいちゃもんつけられたりした作品らしいですが、自分としては作中どこを探してもそこまでの残酷描写は見当たらないなぁと思いましたね。確かに毒はありますが良薬口に苦しの十分範囲内、つか、そんなに苦々しくもないと思います。

ですからもしかして読者層が若くて純情なのか?あるいは自分が腐れているのか?なんて考えたりもしましたが、まあ、読者層が若いかどうかは知り得ませんが自分がある程度腐れているのは確かな情報です。

参考程度に。

以下、何となく読了直後の思考まとめ。

認めたくはないけれど認めざるを得ない、今なお存在し続ける日常の残酷。現実そういう物語は公に語られることは少なく、語られたとしても忘れ去られるのは早い。新聞の小さなスペースで言い訳に満ちた文章が踊るぐらいだからそれは無理もない。

だけど、たとえ詳しく語られなくても物語は確実にそこにはある。

心の内で蜘蛛の糸のように絡みつく後悔や失望は、ある日から自覚のないよどみのようなものに変わり、染みこむように同化してゆく。そうやって人は前に進んだつもりになれるけれど、そのことは決して歪みが消えてなくなったということではない。忘却や思い込みによる一時的逃避はむしろネガティブな選択で、事態は潜在的に悪化してゆく。

物語は語られる。

悪行を正当化するために自分を極悪人だと言い張ったり。

独りよがりを正義と証かす体裁のための虐殺であったり。

自分愛しと見て見ぬふりをすることであったり。

善悪定まらずとも物語は語られ続けている。

その物語もさらなる大きな詩篇のひとつの断章でしかないと気づけば、そこはかとない無力感と出くわすこともある。でも逆に力が湧いてくることもある。絶望と希望は表裏一体。希望の物語を語るなら絶望をより深く掘り下げることだと最近特に思いを強めている。深い絶望を知ることは希望の崇高さを知ることと同義だ。

だからこれは希望のための物語。

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その女はかえりみる

砂の女/阿部公房

昨日読了。

世界から名作と絶賛される作品ということで。

箱男、壁にくらべると砂の女は構図がシンプルでとっつきやすい。が、とっつきやすいと足を踏み入れたが最後、そこは無限に沈み込む平均1/8m.m.の魔界。

脱出不能な縮尺世界。

たとえこの砂の村から男が脱出できたとしても、支配されるスケールが変わるだけで全体を構成するための一粒の砂であることに変わりがない。

諦観という開放。

あきらめのきわから生まれる新しい感情。

いつでもできる。

いつでも逃げられる。

これを認めてしまうのは怖い。

これを認めてしまうところが怖い。

夜、TVで鳥居さんの除霊をやっていた。

どこか胡散臭い除霊師の登場に冷汗噴出。

動物霊が沢山憑いているそうですが、彼女の奇行が動物霊によるものだとしたらその動物はかなり知的センスがあると言えるでしょう。是が非でも来世では人間になることをお勧めしたいです。

こうして除霊師なんて少しでも信じたら終りだと意を固めつつ、この図式は、自分を含め各々の変身願望を擬似的に満たすため、誰かが劇的に変わるところを期待し見届ける儀式なんだ。例えばマジシャンのマジックのタネを探るのは無粋であり、この様々な邪推こそが祓われるべき邪念だ。

と思った。

必要外の知識経験にはご休眠いただいて、都度あるものをそのものとして純粋に楽しめば愉悦は帰還する。

追及の手をふところへ、これもある種の諦観で開放。

結果、面白いというよりも恥ずかしかったですけど。

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『ありえない』でくくられた世界の外側で

こうやってまた仲間は増えていくものだ、代わりなんていくらでもいる

昭和歌謡大全集/村上龍

だいたい一時間ぐらいでざぁっと読める作品だと思います。

この作品の続編とも言える『半島を出よ』読了からかなりの月日が流れました。直後の読みたいときを逃し、それから何となくタイミングを逃し続け、ようやく、ようやく昨日読むことができました。

これでイシハラ、ノブエの鮮烈な記憶は自分の内にも宿ったわけです。

共有されたこの記憶のおかげで半島を出よの深みがよりいっそう増しました。

ただのおばさんグループ『ミドリ会』と『少数派』のイシハラたち。

ミドリ会という、全員がミドリという名前のおばさんたちは初見、没個性的な全体の象徴、多数派なんだと思っていました。が、どうやらその初見は見当違いでした。この物語は重なり合ってしまったニッチをめぐる少数派対少数派の生存競争です。(という個人の解釈です。)

そもそも、ダスキンの柄によく研磨された包丁をくくりつけちゃうおばさんが多数派なわけないですし。それが多数派ならそれはそれでステキな世界だと思いますが、あまり望ましい世界の姿では正直ないです。(苦笑)

過激さが加速する報復劇。

『ありえない』でくくられた世界の外側で展開されるありえない理由と、ありえない復讐戦。

両陣営の抗争がまさかのスケールへ展開。

読めば楽しんで書いたと言う村上龍さんのコメントの意味がよく分かります。

強烈な皮肉を含んだエンタテイメント小説。

ちなみに個人的に好きな登場人物は金物店の店主。

この人の色々すっ飛ばして話す感じが暗黒少年の心をくすぐる仕様。

この作品を読んだ日の夜、何気に録画映像チェックしていたら『骨まで愛して』が流れた。

偶然はときに神秘的。

まぁ、そのステージは心霊スポットで、歌ってたのはライセンスだったけど。

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古い地層からツンデレ発掘

はつ恋

ツルゲーネフ/神西 清訳/新潮文庫

早速さくっと読んでみました。

中編、というかもうむしろ短編に近い文量でしたし、年代のわりに読みやすい文体で、自分のような遅読人でも一時間ちょっとで読めちゃいました。

あらすじ

未だ純朴な16歳、ウラジミール少年の憧れのような熱心は、お隣に越してきた21歳の麗らかなザセーキナ公爵令嬢ジナイーダ(ジーナ)の胸にはとどかない。

数多の男子を手玉に取る彼女の本当の恋の相手、それはウラジミールが尊崇する自らの父親だった。

だいたいこんなとこですね。

補足として。

自分的にこの話、ツンデレです。

そして自主妄想世界ジーナは金色くるくる縦ロール(作中に髪型への記述はなく、十中八九違う)の『魅惑的な、高飛車な、愛撫するような、あざ笑うような』謎めいた微笑の似合うふわふわおじょうさまでありつつ、指を立てて男子を制圧する気高き御令嬢。

あくまで自分流の解釈としてこの作品のポイント。

それはウラジミールが父親やジーナを最後まで恨まなかったというところ。

なぜ、そうならないのか?それはこの少年の恋が愛や欲に発展しない性質の、つまり本当の恋ではなくて、少年から青年への過渡期にわずらう熱病による夢と等しきものであったから。

ただ熱の浮遊感に遊ばれているだけで、言い方は悪いけれど相手が誰でもよかったんじゃないかな?と。

これはあくまで夢、だから父親やジーナの言いなりになってしまうウラジミールの、そういう従順を押し退けるような現実的な力はその恋にはなかった。

その初恋には。

だからきっと幻滅しやすいんです初恋は。

だから醒めてなお残る余韻をのみ、ただ楽しめばいいんです。

そして。

この作品にもいい余韻が残ります。

それにしても。

チェーホフの三人姉妹もそうだけど、この頃のロシアって、家にいろんな人が入り浸るんですね。

いや、ロシアだけじゃなくて上流階級の家ってのはどこもこうなのか?

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西の魔女が死んだ

梨木香歩著

何となく前から気にはなっていた作品。

文字の大きさ、文字間のつまり具合といい堅苦しくなく、かといって稚拙過ぎず読みやすい文章になっていて面白かった。

誤解がいらない憎しみを生んだり。

憎しみが新たな誤解を招いたり。

言いようのない孤独感にさいなまれたり。

喧嘩したり。

喧嘩した相手を許したくてもなかなか許せなかったり。

まいの悩みは万人に共感を得る心情ではないでしょうか。

そんなまいの、ほつれたかと思えば再びからまる心の糸を上手に自分で並べられるよう、確かな言葉で誘導してくれるやさしい西の魔女。

西の魔女、つまりおばあちゃんが他の多くの作品にありがちな超然的存在、いわゆる仙人や聖人としてではなく、人間的葛藤を秘めた一人の人格として描写されていたところは著者の優れたバランス感覚の成せる業なんでしょう。

ただの啓蒙書では終わらず、良質な物語としても楽しめる。

語り過ぎずのラストは秀逸。

心地よい読後感、じんわりと暖かい余韻が残る良作。

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高次の海辺にて

村上春樹著、海辺のカフカを読んでいる。

読み始めて間もなく感じた既視感は上巻を読み終えた今なお続く。
もちろんそれは紛れもなく既視感で、自分は自分の人生の途上、この作品に交わったことがない。

今までにない不思議な感じ。

意思をもってつむがれた世界に自分の観念がぶつかり、内世界が拡張される。

到達するには辛い限界は心地よい甘さで迎えてくれる。

これだから読書はやめられないんだ。

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伊豆の踊子はギリギリライトノベル

伊豆の踊子/川端康成/新潮文庫

今更ながら初めて読みました。

ちなみに荒木飛呂彦さんが表紙を書いて『ない』ほうの装丁。

自分のイメージと違うし。

(チョットハズカシカッタ)

ので。

で、本編のほうですが。

これ。

何で今まで読んでなかったの?

と、激しく自責するぐらい。

完全に俺好み。

今。

読んどいて良かった。

別れの無常さを感じさせつつも。

心には、さわやかな春風が吹いたような。

ふわりとした読後感。

映画というよりも思い出アルバムをめくるかのような、静かな場面に展開される『私』の静と『踊子』の動。

そのコントラストが鮮やか。

静を装いつつ実のところ内面では揺れ動いているという『私』に、若かりし自分を重ね見る次第。

自分的にはギリギリライトノベル。

(マジか!?)

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突撃のトランペットは鳴り続けている

ようやく読み終えた。

フーコーの振り子/ウンベルト・エーコ著/文春文庫

上・下巻。

これを書店で手に取ったのはいつの日のことだったか?

知の巨人の異名は伊達じゃなく。

ちょっと自分には敷居が高かった。

しかし。

途中で諦めて放置したらずっと読まないことになる。

予感はそう告げている。

故にざっと表面を撫でる程度で完読。

それでもですね。

そうやって這いつくばって最後のほうまで読んでみると、ある場所から認識に革命の風が吹き、それまでぼんやりとしていた全体像が徐々に形を成してきたのです。

『ああ、ここまではそういう種まきだったのね!』

という一様の解釈。

・・・・・。

それで大団円とはいかず。

世の中はそう想い通りには巡らず。

理解したと思ったのも束の間。

そのあとアナザーディメンションへ放出で悶絶→放心。

これは二週目突入の号令ですか?

という絶妙なニュアンスで締めくくられてて。

いや。

申し訳ないけれど。

とりあえず。

ギブで。

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無意識を大いに活用するという時代

昨日、須藤元気さんの著書を初めて読ませていただきました。

無意識はいつも君に語りかける

著/須藤元気

出版/マガジンハウス

いやはや、素晴しい内容だと関心しきり。

自分オススメの読み方は『パッと見開いたページを読む』スタイルですね。

偶然という言葉を必然という言葉に変換すると見えてくる不思議な世界。

直感を鍛える(信じる)訓練にも使えるという。

面白いエッセンスがたくさん捻じ込まれている贅沢な一冊。

それでいてなお、全てを語り過ぎず。

そうそう。

本当の知者は語り過ぎたりしないんです。

今も昔も口で災禍を招いている愚者、いますよね。

知者不言

言者不知

知者はなにも言わず、言うものは何も知らず。

ただ真実は不用意に語る事なかれ。

という(多分)仏教系の教えで、自分が生きるうえでの指針のひとつなんですが。

自分は口すべりタイプなので語りすぎて人をおとしめたり、傷つけたりしないよう気をつけないと!

という意をこめての道標。

そんなこと言ってたらそのうち。

無言ブログとかになってたり。

ならなかったり。

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平原になびく、狼王の遠吠え

今、自分の携帯の待ち受けには狼さんが3匹。

真っ白でエレガントなホッキョクオオカミ。

力強いタイリクオオカミ。

そんでもってさらに。

威風堂々。

我が心の王にして孤高の血族。

狼王ロボの遺影。

お察しの通り、先の2匹はブランカ、ジャイアント。

この2匹についてはあくまで『つもり』ですけど。

小学生のころから持ってる狼王の英雄譚。

人の策謀をいとも簡単に見破り、あざけるほどの知恵。

牛をなぎ倒す、他の追随を許さない圧倒的な体力。

そして。

人から受けた一切の施しを、死の帳が降りるまでかたくなに拒絶し続けたその不屈の魂。

心技体。

これほどの高レベルで存在した生命体が今までの地球上にどれだけ誕生したことか。

平仮名ばかりで今の自分にはかなり読み難いのですが、それでも自分にとってはどんな偉人の伝記よりも価値がある一冊。

我が王、ロボを殺したのは著者のシートンですが、彼のことを世界に伝えてくれたのもまたシートン。

今はただ、感謝。

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歌い継がれるアイヌの神の謡

見逃したーー!

と。

このあいだ。

精神的小暴動を起こすきっかけとなった番組。

『そのとき歴史は動いた』

知里幸恵さん特集。

昨日、昼間に再放送やってて。

よかった。

と。

胸筋なでおろし。

ずっと気になる人だったんですよ。

この方。

『アイヌ神謡集』/知里幸恵編訳/岩波文庫

という本は前々から持っていたのですが、この人のパーソナルな部分に関しては謎だらけ。

どんな人なんだろうと。

ひそかに思い募らせていた次第で。

いや。

やっぱり、思ったとおりの聡明な方。

銀の滴降る降るまわりに

金の滴降る降るまわりに

のフレーズは知里さんお気に入りだそうで。

自分もこれが一番好きですね。

動物(神)の雄大な視点から語られる物語は、どれも洗練された民族としての精神性に満ちていて、とても良いインスピレーションに出会うことが出来ます。

アイヌの考えかたってアメリカ先住民のインディオ(決まった総称がなく、この呼称を気に入っている人もいるということで、これを使います)とか、他の地域の先住民族に通ずるものがあったりして面白い。

地球上どこに住もうとも、自然から学び、語り継がれる思想は同じところに辿り着くというという原理。

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結果、脳不活性に至る現実

朝食抜き生活。

2日でジ・エンド。

《注意!》

当ブログはダイエット生活体験記ではありません。

どんな批評も基本的に実践ありき。

脳の活性に良いという理論を目にしたので試みたのですが、これは全然ダメですねぇ。

少なくともエネルギー代謝率の高い自分に合うものではなかったです。

腹が減ったという余計な思考がひとつ紛れ込むことで、かえってその働きを阻害しているようにさえ思えましたから。

学術的見地から見ても体温を上げ、活動に必要十分なエネルギーを供給するという意味でも朝ごはんは大切なんですって。

学習意欲にも差が出るそうで。

『朝食抜くぐらいなら学校休めっ!』

とまではいかなくても

『遅刻してでも朝食食ってけ』

ぐらいの気持ちでいたほうが効率的でよろしいかもしれません。

とどのつまり。

腹が減っては戦は出来んのです。

この朝食抜き理論が書かれていた本のタイトルですが。

『思考の整理学』外山滋比古/著

批判的内容からの紹介になってしまいましたがこの本、なかなか面白い。

朝食抜き理論こそいかにも学者的でアレでしたけれど、ロングセラーになっているというのもうなずける内容になっています。

実のところ自分、まだ途中までしか読んでいなかったりするのですが、とても思考が整理された方の著書らしく、すっきりした文章構成になっていて読みやすいですよ。

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世界で一番有名な日記を

『アンネの日記・増補改訂版』

手に入れました。

世界中で読まれている一番有名な日記ですし。

今までなんで読まなかったのか不思議なくらい。

世界中どこでも読める日記。

これって言ってみればブログみたいなものじゃないですか。

そういう意味では大先輩。

でも。

チラッと読んだ分ではそんな表現がおこがましいぐらい、14、5歳とは思えないほどの優れた人間観察力、洞察力。

日本で言えば中学生。

・・・・・。

中学生時代はサッカー部のこと、笑いをとること、休み時間にプロレスすることしか考えてなかったなあ。

アンネが経験し得なかっただろうものとしては、コンクリ製の床にガチでDDT(脳天を床に叩きつける大技、下手打つとマジで死にますから絶対やらないで!)を喰らって火花を見たことぐらいか・・・。

なんと馬鹿馬鹿しいエピソード。

涙が出るわ。

この増補改訂版はアンネのおとうさんによって削除された幾つかのエピソードを追加したものなのだそうな。

自分としてはこっちのほうが世界の真実により近い分、好感が持てたので手に取ったというわけです。

アンネという人間の真の姿をあえてさらしたほうが本当の悲劇の全容が明らかになってくるのだと思うし。

都合の悪い部分を恣意的に削除してしまえば、ただの聖女物語でしかなく、それはフィクション。

あ、イヤ、存在を否定するつもりはさらさら無いんですよ。

現存するネオナチの連中が主張する『アンネの日記』捏造論にはほとほと呆れ返るばかりですし。

おとうさんの気持ちも分かりますもん。

自分の娘の日記を全世界に公開するんですから。

『世界平和のために』という大義名分に押しつぶされそうになりながらの、大変な覚悟の末だったんじゃないか?と。

ねぇ・・・。

自分だったらやっぱり削除しちゃうかも。

迷うところですよ。

歴史を改ざんしてでも自分の思う、正しい世界に導くべきなのか。

はたまた全てを在るがままに、万物流転の理に任せるべきなのか。

少し表現が過ぎましたかね。

読み進めたらちょいちょい感想を書こうかな。

なんて今は思っています。

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ハツが蹴りたいのは、にな川の背中。春琴が蹴りたいのは、佐助の虫歯。

『春琴抄』(谷崎潤一郎著、新潮文庫)完読。

本当は『フーコーの振り子』(ウンベルト・エーコ著、文春文庫)目的で買物に行ったのですが、店に置いてなくて。

途方にくれたそのとき。

たまたま赤と金の装丁が目に止まり、直感的にブラッドハーレーの馬車(作、沙村広明)と共に購入。

直感は運命をより多く含む性質のものですから、出来得る限りこれに従うべきなのです。

なんて、仰々しく言ってみたりして。

まあ、いわゆる衝動買いというヤツです。

(後に沙村氏も谷崎潤一郎を愛読していると知り、蜂は蜜に群がるものなのだということを実感。)

『春琴抄』あらすじ。

盲目で、高慢で、それでいてかわいいというお姫様な春琴と、そんなわがままな春琴にどんなに口汚く罵倒されようとも、彼女に徹頭徹尾尽くすことを至上の喜びとする魂の下僕、奉公人の佐助。

春琴の美が著しく傷つけられたとき、佐助は自ら盲人としての生を選択する。

二人が織り成す苛烈でいびつな愛の物語。

句読点が何故だか異常に少なくて読み始めこそ戸惑いましたが、結局そんなに気にするほどでもなかったです。

ずらずらと改行もなしに言葉が密集していたりもしますけど、全体的に短いし、サクサク読めちゃいました。

という訳で。

ここで好きなシーンを一つだけ要約して紹介します。

春琴は冷え性で、床に就くといつも佐助が胸の上で春琴の冷たい足を温めるのが慣わしとなっている。

ある日、虫歯で頬を腫らした佐助が胸の上ではなく、腫れて火照った頬に春琴の冷たい足をあてがったところ、そこを思いっきり蹴られてしまう。

『あっ』と言って飛び上がる佐助。

いくら盲人でも違いくらい分かるわ!お前は主人の身体で患部を冷やすというのかっ!?

と、言って激昂する春琴。

虫歯で腫れた頬だと知りながらMAX蹴りを喰らわす春琴さま・・・。

それでもへこたれない佐助。

それはもう健気とか通りこして滑稽ですらあるのだけれど、この他、様々の忍耐を以て愛情の証とする佐助を笑うだけの資格を、はたして自分は持ち合わせているのか?と。

そんな思いに至り、自重。

そういえばこの構図『蹴りたい背中』(綿矢りさ著、河出書房新社)とそっくり。

視点こそ違えども、蹴りたい背中の主人公ハツが感じた『にな川の背中を蹴りたい』という、じっとりとした熱感は、春琴と佐助の放つ熱によく似ていると思う。

影響受けたりしたのかな?

なんて邪推。

五輪の合間を縫うようにして読んだので、きっと春琴さまはいたくご立腹のことでしょう。

ごめんなさい春琴さま。

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アベルもカインも眠たいときには眠るのです

すごい早寝をして、早起きしすぎた人です。

どのくらい早寝をしたかというと、多分22時ぐらいには寝てました。

本当はヘッセ著『デミアン』を読もうと思ったのですが、本を開いたときから始まったすさまじい眠気との激しい闘争の果て、布団も敷かずに爆睡sleepy

まるで『チーズハンバーグのチーズ』のような、どろんとした自分の寝姿に気がついたのは午前3時。

『このまま起きていればEURO仕様の生命リズムを掴めるぞ』

なぞと考えつつも、ヒマを持て余すほうがイヤ、という判断から布団を敷いて、電気を消して、二度寝。

5時ころ。

その短い間に浅い睡眠と半覚醒を繰り返す。

『ジジイかっ!?』

という一人つっこみも、明けの空にむなしい響きを残すのみ。

さらに7時頃。

寝る前に読もうと思っていた本があったことを今さら思いだし、9時まで熟読。

少年デミアンに感化される。

読書は朝のほうが効率が良いんですよcatface

・・・・・って、結局何の話だ?これ。

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なぜ今まで村上春樹氏の作品を購入するに到らなかったか?

平易な文体で高度な内容を取り扱い、現実から非現実の異界へとシームレスに移動する。(村上春樹wikiより抜粋)

目から。鱗とともに角膜やら水晶体やら色んなモノが落ちる勢い。

 まで自分が彼の作品を購入しなかった理由がようやく理解できましたよ。その理由は自分の本の選び方に問題(それはときに個性とも呼ばれる)があったのです。自分はまず、作品購入に際して題名を含む表紙を見ます。そこに惹かれるものを感じたら次に文体をかめるために2~3ページほどペラペラッと読んでみます。これで『来たっ!』と思ったら買いです。内容どうこうはほとんど関係なしに買ってしまいます。だからたまに内容ペラ過ぎな凄い駄作と廻り逢ったりもします。そしてその逆に面白いものを世界の果てまで遠ざけてしまうこともありまして、今回まさに村上春樹氏の作品が後者に当ってしまっていたというわけです。

間ではこんなにも評価の高い作家なのに、なんで自分評価が低いのだろうか?と(自分のことながら)不思議だったのですが、ようやく謎が解けました。自分、一時期、重苦しい表現の文章ばかり集めていたのですが、そのころの氏の作品に対する評価が最近まで後を引いて自分の中におかしな偏見を作り上げていたのです。平易な表現はくてつまらん、と。

全く馬鹿でした。今は、その偏見で構築された不可解な論理の居城から出でて、ブランクを取り戻すため眼で村上春樹作品を読んでいる最中。でも、何で選んだのがアフターダークとねじまき鳥クロニクル・・・・?ねじまき鳥クロニクルは長げーよ!でも結構スイスイ読めちゃいますね。平易な文体に感謝!

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運命の輪はゆるりと廻る

最近、どういう心変わりか、女の性(さが)について興味を懐くようになりました。なので、女性作家が女性について語る作品を買い漁っている次第です。女性作家の著作の中でならば普段はあまり語られない女の本質を覘き視ることもあるいは可能なのではなかろうか?という浅ましき考えに支配されての行動です。だって、本音なんて面と向かって言えるものじゃあ~りやせんでしょ?貴女(←スカルノ婦人風)。しかし、一昔前の自分が今の自分の姿を目撃したならまあ、間違いなく『何たる軟弱!!』と頭ごなしに罵倒する言葉を浴びせてくることでしょう。なにせほとんど読まなかったですから、女性作家の作品。なんか誤解されそうなので言い訳もしときますが、決して男尊女卑の旗を掲げていたというわけではないのです。それは全くないのです。ただ合わなかったという理由。ただそれだけですから。なので、田口ランディ3部作(コンセント、アンテナ、モザイク)後は岩井志麻子(ぼっけぇきょうてぇ)ぐらいです。まともに読んだのは。

そんな自分がここ一ヶ月以内にに取った本(女性作家限定)は『乳と卵』(川上未映子著)『嫌な女を語る素敵な言葉』(岩井志麻子著)そして『壊れたおねえさんは好きですか?』と『女という病』(共に中村うさぎ著)。ちなみに『嫌な女を語る素敵な言葉』と『壊れたおねえさんは好きですか?』は完読済

近年はできるだけ明るい話題(本)をチョイスするように心がけていたのですが三つ子の百までというか、どうしてもその甘美な芳醇な薫りに誘引され、じめじめした暗がりのほうへ飛んでいってしまうのはもう持って生まれた気質であると諦めざるを得ませんねぇ。ゴスのような冷ややかな無機質感や、逆にエログロのように湿度の高い、居心地の悪そうな世界に自分の死生観を投影しようとしてしまうのです。あ、これには勿論犯罪、もしくは犯罪を助長するような行為は御法度というルールを設けていますよ。何事も節度を持ってが今のポリシーですから。

中村うさぎさんといえば、『ゴクドー君漫遊記』なるファンタジー小説(?)で有名だったようですね。自分が(今も)シンパシーを感じている友人が昔、好んでいたのを思い出しました。その友人が好きだった作家の著作を今の自分が手に取っているというのは、なんだか視えざる小さな運命の輪の存在を予期させてくれます。しかしもっとビックリしたのは、中村さんの著作の中に『岩井志麻子』という人名がちょくちょく出てくること!友人関係なのでしょうか?先ほど挙げた『嫌な女を~』は中村うさぎ著作群の直前に買って完読した本でしたので、なんじゃあ!?この奇妙な合致は!!と漢弁(おとこべん)で奇声をあげてしまいましたよ。思わず。『嫌な女を~』に収録されているベトナム人の男の幽霊の話(のが多い!)のウラが『壊れたおねえさん~』の中で取れちゃいました。いや、この推察は自己満足に過ぎませんね。違っていたらごめんなさいです。平にご容赦を。

無作為の内に選択したはずのいくつかの要素がその実、複雑に絡み合っていた事実を目前にしたとき、どうして人はときめきを憶えてしまうのでしょう。まるでファンタジー。わたくしとろけてしまいそう!

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死刑執行人の苦悩。そして、受け継がれるべきその思想。

本文引用はは全て安達正勝著

死刑執行人サンソン』からの引用です。

シャルル-アンリ・サンソン(1739~1806 フランス)

死刑執行人の家系であるサンソン家の四代目に産まれた彼は、頭脳明晰で良識を持ち、人間としての器に恵まれながらも死刑執行人の家系であるがために、民衆には罵られ、蔑まれ、死刑という刑罰の無意味さというものを身をもって知りながらも、忠誠を誓う国王ルイ16世の命に従い続け、ついにはそのルイ16世をも手にかけることになってしまうという苛烈な運命を生きた人です。

安達正勝著『死刑執行人サンソン』から感銘を受けた部分を少しだけ紹介したいと思います。

続きを読む "死刑執行人の苦悩。そして、受け継がれるべきその思想。"

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