日記・コラム・つぶやき

家庭崩壊も辞さないという

道徳的って何?

昨晩のスマップの番組ですが、裏をメインにチラ見。しかし、上段に居座ってた先生方の見解がどうにも不可解で思わず見入ってしまいました。初めから選択問題なのが気に喰わなかったんですけど、あとあとそのことで憤怒。

番組全体を通じて、『何事も包み隠さず正直に言うことが道徳的で正しい』という見解が基本となっていましたが、でも、道徳的=正解、正義という図式は成り立つものではないと思うんですよね。道徳的であっても正解たり得ないこともあるって思うんです。正解ではなくて、単に道徳的なだけ。それが正しい結果につながるとは限らない。

思いこみも多い。例えば。

先生に正直に言う→先生は全て道徳的な存在という前提が必要。これまで自分の見てきた先生で、信念をもってぶれずに判断を下せていた人は2人ぐらいしかいません。先生の介入でかえってことがこじれた、なんていうことも周りではよくありましたし。

警察に言う→警察は正義か?ということ。法律が正しいとは限らない。法律という正義は国内向きにしか通用しない。ここを問うことが道徳の始まり。そしてそれについて日ごろ考えている人は少なからず道徳的な人だとも思う。

最後の問いに関して。

リストラされて何日も食事をしていない人(おっさん)が、自分(八百屋店主)の店先に並べてあったリンゴを万引きする。

というケースに対し。

1.捕まえて警察に突き出す。

2.見逃す。

というふたつの答えが用意されていました。

自分としてはこの問いに対して、『1.捕まえて警察』だと見ず知らずの警察官に全ての判断をゆだねなくてはならないので×だと思い、2の見逃して、そのあと盗品を返しに来るのを待つという考え方をしました。(本当は捕まえて話す、その答え次第で頭突きという選択がしたかった。)

大注目の先生方の見解は『どちらも正解になりうる』という何とも腑に落ちない、いかにも学者先生が考えそうな大オチ。ちょっと待て。そういう答えもありうるよっていうことを隠して設問することははたして道徳的行為と言えるのか?さっき包み隠さずが道徳だって言ってなかったか?

『最初から選択問題じゃ答えられないんだよ!言ってんだろっ!』

って一人で憤慨してました。

TVに向かって吠えるなんて、バカ犬同然です。

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引き継がれる魂

蝶野正洋25周年特別興行

蝶野正洋デビュー25周年記念試合

蝶野・武藤・小橋vs中西・小島・秋山

実に絢爛豪華な世代間闘争。友人にオススメされてYouTubeで観戦。

3団体をまとめ上げてしまう蝶野正洋のプロデュース力、裏を返せば彼を慕う人が多いことの証でしょう。皆さんの愛情の深さに、いや、不覚にも開始3分で目頭が熱く・・・。

この数年で重要な人材が思いもよらず次々と去っていきました。試合中、何度も聞こえた橋本さん、三沢さんの名前。プロレスを創ってきた選手たち。その人たちの想いとか、歴史とか、そういうものを背負って戦うとき、プロレスラーは他の格闘技者にない輝きを放つんです。暗がりの中で、ライトアップされた純白のリングは神々しかった。ほんとうに綺麗だと思った。

いかに相手の力を引き出せるか?そうやって戦う相手のことを激しく想いながら戦えるのがプロレス。お客さんが盛り上がることを第一に考えてくれるのがプロレス。プロ興行の真髄とはなにか?を見せてくれるそのリングには、他では味わえない感動があります。

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忘却がもたらす希望

このところの読書履歴につらなるマニュアル本系。どうにもやっぱりマニュアル本は自分の性に合わないらしいです。画一的な思考経路からは、これといった真新しい鉱脈は発見できませんでした。それは単に自分の読解力不足かもしれませんが。

人間には驚嘆すべき2つの現象があるとミヒャエル・エンデは言っているのですが、その2つとは記憶と忘れるということなのだそうです。記憶されたものはいつのまにか消えていってくれる。無意識下の深みで変容したそれらの膨大な意識下記憶の総和が、自分にひとつの人格だという感情を可能にしてくれる。そういう記憶が多いだけ人格が豊かになる。過去を携えている分が大きいだけ、未来をも大きく持ってるとエンデは説きます。

いつのまにか忘れられてしまった過去も未来に反映されている。忘却の彼方というそのフィールドには発展の要素が潜在している。そんな風に考えられるのなら、そのとき無駄骨と思ったことも、きっとなにかの役に立つ日が来るはずと希望が持てる。くだらないと投げ捨てた本にもありがとうを言える。この発展的情報結合機械は今、そんなふうに世界を理解しようとしています。

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本心はひた隠しに、しかし半面理解してもらいたいというジレンマ

金閣焼失。

金閣寺の題名で三島由紀夫の小説にもなっている。(当然読みました。)

その事件が今朝、テレ朝の番組でとりあげられていた。最後、彼は死にたかったのではないか?と、まとめられた。それはとてつもない違和として自分の胸中に響いた。死にたいだけが動機じゃあまりに味気なさすぎる。ひとってそんなに簡単に割り切れるものじゃないと思うのだけれど。

言葉としてあらわになった部分じゃない、行間にこそ本心があるんじゃないかと。例えば母との面会を断ったというのなら、それはどういう間で応対したかとか。そういうところにひとの心は隠れてる。

修行僧の青年は死にたかったから金閣寺を焼いた?いや、どちらかというと逆じゃないかと自分は思う。母、吃音、結核。生きたかったけれど、生き辛かった。どう生きてみたらいいか分からなかった。大きな理想と矮小な現実、その間にある言及し難い感情のよどみが金閣焼失という事実につながった。その事実をコントロールするには彼は若くて未熟だったし、そのことを見出してリードしてあげられる大人(母親)も周りにはいなかった。

言いようのない感情は誰でもが持っていると思う。そういう部分を他人の身で理解するのは境界を消してひとつながりにでもならない限り難しい。わけの分からないものはわけの分からないもののままでもいいのに、それでもそういう心とか、感情とか、無形で未確定なものを当て推量で簡略化して理解したつもりになる。なってしまう。それはもちろん今日のこの自分のブログも含めなのですが、ずいぶん勝手なことを書いているなあと自省の念も少なからず抱いているところです。

ただ共感して反感する。とどのつまり本人はもういないのだし、それだけでいいのかも知れません。

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手折られてこそ強さを

大地震に遭い、階段でパニックになる群衆に向かって『落ち着いて!ゆっくり降りてください!』と小声で叫ぶ。なぜならここで大声を出すと寝言が家中に響いて後々恥ずかしいからだ。夢想する世界に真剣でありながら、それと同時にこれが夢だと気づいている不思議。夢物語の主人公でありつつ、自分である。自分。はたして本来の自分の所在は一体どちらなのか?そんな二重感覚が面白かったので忘れないようノートに書きこみ。ひとはメモを取ると安心してしまい、かえって物事を忘れやすくなるとも聞きますが、書かずに忘れることのほうがよっぽどばからしいので気になったらメモは取ることにしています。

朝の6時ころ。それなりに明るい時間。

今朝はそんな感じで何となく早起きしてしまったので、録画したサッカーU-17ワールドカップ、日本対メキシコを観戦。戦術面での底上げ、水増しが少ない分、人間としての強さ弱さが結果に直結するこの年代の大会は意外に面白い。

しかし、パス、トラップ、ドリブル-攻撃センスは史上最高のものを感じられただけに、日本の3連敗、予選敗退はとてもとても悔しい。3連勝に限りなく近い3連敗だったようにも思えるけれど、だからといって結果として惨敗という部分に変化はなく、年齢が若いからメンタルが脆いというのは同年代が集まる大会では言い訳にもならない。2点差で負けていようが、決定的なシュートを何本も打たれようが、他国の選手たちは一様に折れなかった。折れないほうが勝つ。サッカーは技術を競い合うだけのゲームじゃないと、やはりそこなんですね重要なのは。この実戦経験を糧に彼らはきっと凄い日本代表になってくれるだろうと期待していますし、その期待値は依然高いままです。

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浅く浅くただ漂うように

今日はプロ野球ドラフト会議の日。

そんな日の朝にその夢を見た。

場面は今年注目選手の抽選。一般に開放された傍聴席に自分。半透明の抽選箱の前に名だたる球団監督たちが並び、次々とくじを引いていく。そのなかに何故かよゐこの濱口さんが混じっている。しかも当たりくじを引き当てて大喜び。悔しがる一同。って、それで一体どこに入団するというの?まったく意味が分からない。こんなシュールな夢を見る自分が分からない。

夢の何もかもが示唆的であるとは限らないですね。

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凡庸に溶ける魔法

天使の卵/村山由佳/集英社文庫

自分とはあんまりなじみのない系統の作品、恋愛小説。人伝いに名前は聞いていたので気にはなっていたのですがなかなか手が出ず。昨日、なにげなく手にとって文庫本の裏を見てみたところ『解説・村上龍』の文字列。おいおい、それを目にした日には読まないわけにはいくまいと、この作家さんとの出会いの経緯としてはそんなところです。

19歳の予備校生が電車の中で出会ったひとに一目惚れする。

内容についてはこれ以上は書けない。これ以上書くとネタバレなくらいストレートな作品。

巻末にある歴戦の文士たちの言葉どおり、キャラクター、ストーリー展開、それは誰の目にも明らかな凡庸さではあるのですが、読んでみればなかなか質量がある。目を見張るようなトリックもなければ、顔を背けたくなるほどの残酷もない。そこにはただうまくいかない恋愛だけがある。それなのにしかしきちんと読後感に満たされるというマジック。

キャラクターの名前が若干恥ずかしい、これが唯一欠点と言えば欠点か。それも様々なイデオロギーで武装し、猜疑心に凝り固まった男子にとってはですが。ときにはそういう武装を脱ぎ捨てて直球を楽しむ。そういう余裕が自分には必要なようです。

巻末の解説で村上龍さんが、『アヴァンギャルドというものはリアリズムと凡庸の先端にしか存在しない。』と書いていますが、『新しい文学』的な表現をいらない装飾として切り捨てたリアリズムと凡庸の力強さがこの本にはありました。

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リボンのかたちについて

作家の川上未映子さんが、ゲスト出演したNHKのスタジオパークでいろいろ面白いことを話てくれていました。活きた言葉を聴くとのうみそがシャキッとしてカチカチと動き出す感じがします。だいじょうぶですか?とお昼のお茶の間を気遣いながら一生懸命、哲学論などをかなり噛み砕いて話してくれていた彼女でしたが、そこからの不思議少女でした~的な帰結はあんまりだなあと思いましたね。

しかし何にせよ、よいインスピレーションをもらえたので感謝です。

良い考えが浮かびそうなときに見知った道をただ歩きます。メモ帳、ないしメモできる機器を持ってひたすらに歩きます。その道すがら、金色の眼をした黒猫に警戒心たっぷり睨まれてしまいました。寒さとともない身が引き締まる思いです。それにしても綺麗な方(ねこ)でした。そのあと遭遇した店先につながれた柴犬には二度見されました。

いったいなんだというのでしょう。

てゆうか、犬も二度見するんですねえ。

リボンのかたち

ribbon

∞無限大のマークだけでは出口がない、どこまで行っても行き止まりで息がつまる。下にのびる/ \この2本があって完全。と、だいたいこんな感じのことを川上さんは言っていました。

/生きてきた道と\生きてゆく道、間に挟まれる今は∞無限に終りがなくて、過去も未来もなく無限に今のまま。/ \がない∞の世界は永劫回帰的で窮屈、退屈。たしかにリボンの示すこのかたちは完全だなあと感心。

疑問を放棄しなかった人の言葉には重みがあります。がつんと頭が揺さぶられて、聴くだけで賢くなった気にさえなれます。これが気になれるだけで終わらなければいいのですが。

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きらきらとかがやくなかで

天気雨です。枯れはじめた初秋の野原を嫁入りの行列が歩いています。真白な角隠しからわずかにのぞく横顔。よく見ると新婦は狐の顔をしています。ごうごうと降る雨に太陽の光が乱反射して幻想的な輝きの中を、その一団はしづしづと歩いてゆくのです。やがてその荘厳な雰囲気に耐えられなくなったらしい団の一角がふらり、ふらり踊り始めました。その騒ぎはあっという間に全体へと伝播し、瞬く間に乱痴気騒ぎになってしまいました。

狐の嫁入り

天気雨に狐の嫁入りなんて呼び方をつける人は相当な美的センスの持ち主だなあと感心します。この人の心はとても自由だったのではないでしょうか。ただの気象現象をそれで終わらせない貪欲は見習いたいところです。

狐の嫁入りという言葉をおもうと、昔の人の人知を超えた現象に対する尊崇、あるいは恐怖が自分の内側で目覚めるのを感じます。それはとてもとても心地の良いものです。

重たい灰色の空は何となく秋の面持ちです。もう雪虫は飛びましたし、そのうち雨も冷たくなる。遠からず冬は来るのだなあ、なんて鬱々と頬づえをついてしまうわけです。

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時の流れは抗し難く

昨日の晩、久々に舞台演劇を観ました。といってもTVですけど。

楽屋 流れるものはやがてなつかしき

清水邦夫作/生瀬勝久演出/出演・小泉今日子・蒼井優・村岡希美・渡辺えり

口惜しいことに途中からの観劇。

楽屋に渦巻く女優たちの想念は怨念にも似た激しさを見せつつ、でもその根底に流れるものは全て舞台への純情な憧れの気持ちであり、激しさはそれ故の表れであるわけで怖いというよりも痛い。その激情がはたして演技上のキャラクターの想いなのか、演者の想いなのか、あるいは両方であるのか。考えようがいく通りもあるよう多重構造に仕上がっているこういう作品が自分は好きです。自分はあまり集中力がないほうなので冗長な舞台は大嫌いなのですが、この作品は全く時間を感じさせない良い舞台でした。演者も、作品も、演出も全て本物である(であろうとする)から観劇する側も舞台上から気そらすことができない。時間を気にする余地もなく研ぎ澄まされた演劇は素晴しい。

なにより蒼井優さん+まくらの破壊的魅力にぐらぐら。(そこかっ!?)

そのあとの生瀬勝久さん+渡辺えりさんの対談中にあった、今どきの大学生に会って話をしたら誰一人として谷崎潤一郎を知らなかったという話には衝撃を覚えました。全員知ってろとはさすがに思わないけれど、さすがに一人くらいは読んでいてもよさそうなものなのに。まあ、時代が進むにつれて新しい作家は次々誕生するわけで、ビッグネームといえど遺物とされ埋没してゆくのも仕方ない部分もあるのかと思わないでもないのですが、しかし自分としてはそういう流れに徹底抗戦の所存。谷崎潤一郎ならば小学生の作文みたいなケータイ小説群よりは断然面白いし、実入りも多いと自分なら思うところなのですが、なかなか思い通りにはなりません、世の中は。

読書感想もおまけに。

幽霊塔(江戸川乱歩全集9)/江戸川乱歩/講談社

買ってからずっと読めてなかったのですが、昨日ようやく読みました。

その幽霊塔には養子に殺された老婆の霊が出るという。

北川光雄は叔父の以来により幽霊塔と呼ばれる屋敷の検分へとおもむく。その検分中、光雄は美しい野末秋子に出逢う。時計塔の謎を知る秋子。その周りには脅迫者の影。埋蔵金伝説。幽霊塔に隠されている迷宮。秋子の謎の使命と隠された過去。

とまあ、なんだかとっても少年小説っぽさがにじむ要約文ですが、まあ、本文のほうも実際そんな感じで完全にお子さま向け。なので普通に大人が読むにはかなり物足りないです。幽霊塔というタイトルだけでグロテスクを期待して適当に買ったのですが、そもそも江戸川乱歩は少年向けのものも多く書いているし、読んで面白くなかったというこの過失責任の所在は作品どうこうというよりかは自分にあると考えるのが正当でしょう。

秋子と聞けばダウンタウンなのは完全な世代病。

この全集には他に悪魔の紋章という作品も収録されていますが、こちらも同じようにお子さま向け。明智小五郎シリーズでありながら終盤まで本人は出さないというちょっとひねくれた作品。ちゃんと気合入れて書きましたか先生?という感じです。

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