« 2009年5月24日 - 2009年5月30日 | トップページ | 2009年6月7日 - 2009年6月13日 »

2009年5月31日 - 2009年6月6日

北大祭の話のはずが妙な具合に膨らんで

北海道大学の北大祭。

主催団体の全学実行委が祭での政治、宗教に関する活動を行わないと決めたと、今日の新聞に書いてありました。

まぁ、それそのものは置いといて。(実際には勧誘が激しすぎるとのクレームに対応しただけらしいので)

この記事、違和感があったのは先生側の主張。

海外の学生はがんがん政治について議論するのに、日本はどうなってしまうのか?

なんて言ってます。

『海外の学生』っていうのは具体的にどの国のどの生徒のことを指すのでしょうか?海外の学生というあやふやなモデルと自分が指導する学生を較べてしまうこちらの言い分の方が、どうにも主体性を欠いた物言いのように思えてなりません。

これじゃただ、私は学生を指導する力はないけれど問題捏造して危機感持ってるインテリですよってアピールしているようにしか。(苦笑)

そもそも政治が学生に敬遠されるのは、若い世代の闘争心の欠如もそうですが、今の日本に語るべき政治がないということもあるのでは?機動隊に体当たりするぐらいの主張が必要なほどの絶対悪としての価値が現行政治にない。自分たちが自分たちの立ち位置で何を議論し、主張したところで『どうせ通るんだから悪あがきするな』と平気な顔して若手議員を潰してしまう元総理の態度に集約される、何を言っても結局実弾の撃ち合いなんでしょ?っていう閉塞感。

子どもの頃からあんなの見せられてたら、そりゃ興味なくすって。

魅力的な大人がいない。

議論はすぐに頭打ち。

面白くないものに人は興味を持ちません。

上に書いたとおり、実際のところ少なくとも日本国民には政治に対して主張する権利、権力なんか与えられてないですし、少なくとも思想面でのヒエラルキーは明確に存在してる。これは漠然としたあきらめムードが蔓延する理由の一つだと思う。しかし一方、例えば日本のブログコミュニティの中では政治、宗教の話題はタブーだという主張もあったりするらしく、そういう人はワザと自分から思考停止して下層に出向いている感もあるので、この点においては某『女性の代表』のように『権力者だけが悪いのよ!』なんて一方的に糾弾するわけにはいかないでしょうけど。

結局、この双方向からの封建主義依存から未だ抜け出せないのは何のせい?

政治?

教育?

歴史?

あるいは抜け出さなくても良いのか?

停滞を打開するにはヒーローが必要。なんですが、そのヒーロー像に世代間でかなりのギャップがあるから、創りだされるヒーローのことごとくが若い人間にとって失笑の対象にしかならないというこの無辺の悲しさ。

通り一遍(うわべだけで誠意のない)の主張を担がされた若大将みたいなのを差し出されてもっていう。

最近では自民推薦を得られず北海道一区からの出馬を断念したあの人なんか良い感じに的外れ。なんだけど、それでもがんばってるっぽいから一瞬応援してあげたくなるっていう頼りないあの愛玩動物的魅力は何?

まぁ。

あれはポーズで、主張も的外れで、必ずいつか裏切られるから応援なんかしないけど。

おお。

話がすげぇズレた。

祭は祭として素直に楽しめるようにするのがいいんじゃない?って方向に行くつもりが・・・。

| | コメント (0)

無慈悲な黒翼が増殖する

今季初被襲撃!

背後からばさばさーっと、カラス。

振り返れば触れられそうなくらい間近。

『うおっぅ!ビックリしたぁ!』

さすがに出ましたね、声が。かなり大きめに。

俺が一体何をした!?

反論どころか戸惑いの暇すら与えず、さらに同方向からの追撃。

あまりの近さに叩き落してやろうかと思ったけれど、思い止まり冷静に観察することにした。(これが重大な運命の分岐になろうとは!)

その間も威嚇飛行は続く。

観察したところ2羽だけの模様。

・・・2羽。

つがい?

ああ、なるほど。繁殖シーズンで気がたってるんですね。

ふいに威嚇飛行が止んだので前方、左上を見てみると、2羽して枝に止まってガァガァ鳴いてる。

確証は無いけれど多分その方向に巣があるのだと思い、その方向と逆、右方向へ回避行動をとる。

そしたらあっさり止みました、威嚇行動。

彼らは威嚇行動として激しく細かく鳴いたり、枝をカリカリやったり、小枝をちぎって落としてきたりするわけですけど、何もしなけりゃそもそもそこに巣があるなんて気づきゃしないのに。頭良いと言ってもやっぱり鳥類から人類へのハードルは高い。

で。

双方に無駄な血を流させない、本能に従うだけの禽獣とは一線を画した人類の知恵の勝利!なんて酔いしれつつ、何気にちょっと離れたところから振り返ると、さっきまでの戦場に続々集結しているカラス群が見える。

ほんとにピンポイントで集まってるのが分かるくらい超集結。

きっとあのつがいに呼応した一族。

瞬間、ぞわっとした。

あのときもし攻撃してたら、都市伝説よろしくハラワタぶちまけのついばみ殺されのEVA弐号機ばりに吊られて巣まで直送、保存食という悲惨な末路を辿っていたことでしょう。

運命の選択はいつも突然です。

| | コメント (0)

梅雨に伸びる草が覆い隠す嘘

なんだか北海道も梅雨っぽいです。

フローリングが湿気て、場所によってはべたべたします。

煮えきらない曇り空、雨でも降ってしまえば清々するのでしょうけれど、我慢のときは続きます。

とは言え、本州ほどではありませんが。

色々世の中の出来事、様々な人の意見を見ていたら、嘘をつき通す覚悟無く嘘をつくってことは良くないとつくづく思った。一度ついた嘘を簡単にひるがえす。そういうことをやっちゃうとついた方にもつかれた方にも大きなダメージがある。(あくまで当事者、もしくは本来無関係でありながら当事者の心情ににシンクロしちゃった人の話。傍観者を決め込むスタンスの自分には学習テキスト同然、当然ノーダメージ)

嘘をつくなら、その懐にしまった自分だけの真実は骨になるまで抱きしめて放すなと。

あるいはそういう覚悟で嘘に臨めと。

そう思うんですね。

そこで今月号のアフタヌーン、無限の住人なんですが。尊崇する(!)極悪人シラさん(漢字変換不能につきカタカナ表記)が死に際に

『自ら毒をひっかぶって生きる覚悟が無いなら、いっそ腑抜けとして生きたほうがいい。』

大体ですが、こんなことを言っています。

漫画界における過去最低最悪級の極悪人シラさんが、これまた漫画界に残る悪鬼に相応しい、見事な猟奇的最後を迎えるにあたって我ら衆愚に残す超名台詞。(ただ、このコマを読みながら本屋の一角でニヤリとする自分の姿はまさしく重犯罪者予備軍)

悪の最先端を行く者にも最たる者相応の哲学があり、鬼畜にしか語れない、無視できない言葉もある。

そういうものを冷静に汲み取る視点もときに必要。であると言っても、まぁ、そういう犯罪者は数少ないですし、とりあえず現実、今何処を見渡せど継続して読み取る価値が無いくだらない小者、小心者で溢れかえり、つまらないと言っては不謹慎ですがあまりにつまらない理由、虫食い穴だらけのこども理論が目立ち、どうにも情けなくなるばかり。

そんな中でこの『シラ』というキャラクター。

性悪で、とことんあきらめが悪くて、とんでもない性的倒錯者で、恨みこそが生きる上で最良のスパイスと言ってはばからない、もう清々しいぐらいの絶対悪がゲハハと不幸な被害者を嘲笑する、この悪魔的魅力。

当然ノンフィクションとフィクションを天秤にかけるつもりはないですし、この作品はフィクションで、シラさんは架空の人物、あくまで極限まで特化させられた性格表現。なので現実と直結させて論理展開するのには若干のバランス感覚が求められるところでしょうけど。

そんなところに留意しつつ、この愛すべき外道が最後に語った(語らされた)興味深い哲学を自己流に翻訳すると。

なすことが善行だろうと悪行だろうと、誰かがやったあとを追随する、言われたから仕方なくやるという自己責任回避的な論理が最も唾棄すべきで、やるもやらないも自分で選べ、だが最後まで責任持てないなら、どんな過酷な罰も全てを喜んで迎え入れるくらいの覚悟がないのなら、主張せず腑抜けとして安穏と生きろ。

こうでした。

実際にこのように生きるのは並じゃないでしょう。でも、心に留めておいて損はない言葉だと思います。

思い返せば3巻から同じような台詞が出てきいるし、忠義の限りを尽くしたお上に自死を宣告された吐が最後まで剣を捨てられないあたりとか、この作品の一貫するテーマはここいらへんにあると思っていて、とても影響を与えられているなぁと逐一感心している今日。

しかしまあ、こういうひとでなしにこういう深みのある台詞を吐かせることが出来るのはただの手練じゃ在り得ない。

この人の手で連結、練成された言語はとても良く響くので重宝するところ。

やはり良い作家だ、沙村広明さんは。

| | コメント (0)

日本って敬遠されてる?

 キリンカップ

日本4-0チリ

日本4-0ベルギー

日本優勝!

って。

大丈夫かね?アレで。

 チリ戦は遅いリズムの南米流サッカーをスピードで翻弄する戦術がうまくはまってイイ感じだったけど、相手が自滅しての無失点だということを忘れちゃいけない。

ベルギー戦中盤は中央固められたら打つ手なしみたいにアイディアに詰まって足元へのパスだらけ。後半は相手の雑なフォアプレスにビビってミス。オシムさんの言葉から引用するなら各駅停車、リズミカルなパス&ゴーがすっかりさっぱり消えちゃったのはなんで?

決定力云々よりも相手の出方次第で急にペースが鈍る、この柔軟性を欠く対応力の部分が一番気にかかるところ。

 ペナルティエリアに高速で飛び込んでいく人数が少ない。トップ下×3+センターハーフ×2が積極的にゴール前に飛び込んでゴール狙っていかないと人数不足になるのは当たり前。特に2センターには頑張ってほしい。EURO2008準決勝スペインvsロシア戦、シャビのゴールみたくやれたら最高。

2戦通して岡崎、本田、(出場時間が少なく残念な)矢野が得点への意欲を持ってチャレンジしていたけれど、それ以外は目立たず、正直不発という印象。何人かバランスを見過ぎな気がして、やっぱりここでも遠慮しているように見受けられた。

周りに深慮し過ぎで自分の感覚を信じられなくなったら点取り屋はお終い。多少エゴイスティックにでも自己表現し続ける選手だけがペナルティエリア内で輝けると自分は思う。クロサーに『自分トコによこせよ!』って言えるヤツならなお良い。

 参加チームは『GKと1対1』という決定機をまともに決めきれない低クオリティ。プレスもまともにかけられないヘボ代表相手に、あんなやる気のないチームに快勝したところで何が得られるのか。この大会の意義は何?世界レベルにチャレンジしてこうぜ!っていうことじゃないの?W杯最終予選想定と言うにはあまりにお粗末なキャスティング。

あんなのが相手なら最初にこっちから『日本の弱点は中盤の底から最終ラインにかけてスピードのある選手にフォアプレスをかけられること』って教えとけばいいんだ。そしたらそれなりにいい練習になったかもしれない。

これはたまたまああいう相手しか空いてなかったのか、日本が嫌われているのか、あるいは中一日というゲストに厳しいハードスケジュールが敬遠されているのか。もしかしたら独自のスタイルで構えるが故に『○○想定』の枠に引っかからなくなっているのかも。

・・・・・。

とりあえず勝ち抜けると信じてるし、いい引き締めになっただろうから次戦は期待する。

 ちょっと試合からは離れるけれど、なんで昨日の日テレのアナウンサーは選手からとって来たコメントの一人称を『私』で統一しちゃったんだろう?

その内訳には『俺』とか『僕』とかあったはずで、当人がどういう一人称を使うか?それは一人の人間としての自己表出の一部で核心に近いパーツのひとつだと思うのですが、それを勝手に言い換えるのは表現者として良い態度と言えるかな?と思うのです。

さらにインタビューは誘導尋問のようで、インタビュアーが自身の心中であらかじめ想定された答案にばかり執着した状態で質疑応答が展開される。だから『今、言ったよね?それ。』っていう質問でも平気な顔して投げかける。今に始まったわけじゃないけれど、この場合進歩がないのは停滞じゃなくて衰退。

そのへんNHKと相通ずるものがあって、どうも儒教的な建前精神と言うか、おためごかしが多くて自分との相性がすこぶる悪い。

そもそもサッカー素人に、たかだか100分間でその試合の良し悪しを洗い出せと言うことがまず無理で、それならば喋りに目をつぶってでも冷静沈着+分析型の『ハシャギ過ぎない』プロOBにインタビューを任せる形がはるかに理想的。

サッカー中継はTBS実況+金田さんの解説がやはり群を抜いて良いです。

| | コメント (0)

« 2009年5月24日 - 2009年5月30日 | トップページ | 2009年6月7日 - 2009年6月13日 »